2006年07月07日

Winny遮断と回線の負荷
P2P

Winnyの技術
Winnyの技術
 ISPがWinnyを遮断したことについて書いてある記事に、少し気になるところがあった。

多くの人が,「ぷららはWinny遮断の目的をセキュリティ対策だと言っているけど,本当の目的は爆発的に増大するP2Pファイル共有ソフトなどのトラフィックにネットワーク設備を増強することなく対応するため」と見ている。しかし,ここまで見れば,これが見当違いだということが分かるだろう。

 これだけでは何のことやらわからないので、続く部分を以下に示そう。

なぜなら,ネットワークを守るためなら,ある程度のトラフィック制御は許されるという判断をすでに総務省が示しており,さらに踏み込んで,通信を遮断するという措置を取る必要はないからだ。

 要するにこの記者の主張は、“Winnyで利用できる帯域の制限はすでに可能なのだから、あえて遮断する必要はない。だから、帯域確保のためにWinnyを完全に遮断しようとしたという憶測は間違い”ということだ。

 しかし、はたしてそうだろうか。確かに帯域制限をかけて、Winnyのトラフィックによる負担を軽減することはできる。だが、それでもWinnyの利用によって帯域が使われていることに変わりはないのだ。

 どいうことかというと、帯域制限とはいっても極端に絞れるわけではない。たとえば、100Mbpsを謳っているのに1Mbpsまで減らすことはさすがにできないだろう。ということは、Winnyのユーザーがいるかぎり帯域は一定程度かならず食われることになってしまう。

 つまり、Winnyユーザーが多ければ多いほど、帯域制限をかけても結局は回線への負荷は大きくなるということだ。ここに、Winny遮断へのISP側のインセンティブが生まれる。
 Winnyを完全に遮断、すなわち使えなくしてしまえば帯域はごっそりと空くのだ。しかも著作権侵害や情報漏洩などが起きて、Winnyを悪者にする条件はそろっている。そこで、それらを理由にISPがWinnyを排除しようとしたとしても、なんら不思議はないだろう。
 この点は、ISP側がやたらとWinnyを“悪”ということにしたがっていることとも通ずるが、これについての詳しいことはまた別の機会に述べる。

 ともかく、インフラへの負担を軽減するためにもWinnyがないほうがいいというのが、結局のところISPの本音だろう。

 ただ、リンク先の記事ではISPがWinnyを遮断しようとした他の理由についても述べられている。こちらは非常に鋭い指摘なので、一読をお勧めしたい。

投稿者 KATANA : 18:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月19日

Winnyに意外な助け船
P2P

Winnyの技術 相次ぐ情報流出などのセキュリティリスクによって完全に悪者にされてしまっているWinnyだが、意外なところから助け船が出された。

 ISPのぷららがWinnyの通信を完全にシャットアウトしたことに対して、総務省が待ったをかけたのだ。なんでも、特定のアプリケーションの通信を完全に遮断することは、通信の秘密の侵害に当たるそうだ。

 確かに、自分のよく使っているソフトがISPから一方的に使用不能にされたら、ユーザーからしたらたまったものではない。ISPはなんやかんやと理由付けするだろうが、そもそもWinnyそのものが違法かどうかはまだはっきりとしていないのだから、ISP側の独断で特定のアプリケーションに対して“いい/悪い”を判断する権限などないはずである。

 その点、電気通信事業法に違反するという総務省の判断は正しいといえる。Winnyに逆風が吹きつづけている状況だけに、こうした判断を周りに流されずにきちんと下せたのは高く評価できる。

 ISPはあくまで通信の仲介者であって、トラフィックの中身を独自の判断で選別していいわけがない。それにもかかわらず、ぷららがあえて遮断に踏み切ったのは、要するにWinnyの通信が帯域を食ってしまうことが嫌だからだろう。

 つまりWinnyのセキュリティリスクは、かえってISPにとっては帯域制限や遮断を行うための格好の言い訳となっているのだ。ぷららは情報流出を表向きの理由としているが、その実、回線の負担を軽くすることが本来の目的であることは誰しもが気付いている。

 ファイル共有ソフトに限らず、ブロードバンドを活かしたコンテンツが増えれば増えるほど、現在のほとんどのISPが行っている「ベストエフォート型」のサービスは行き詰まっていく。こうしたなんともファジーなサービスを続けていくかぎり、ISPは帯域を食うアプリケーションやコンテンツに怯えつづけなければならないのだろう。

 Winnyは、著作権だけでなくいろいろな面でも問題を表面化させてくれているのだ。

投稿者 KATANA : 21:48 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月13日

音楽業界がファイル共有ソフトを活用か
P2P

 企業が提供するファイル共有ソフトが米国の最高裁で違法と判断されたことを受けて、 皮肉にもそれら企業とレコード会社との提携の流れが強まっている。あの老舗iMeshが、Sony BMGとライセンス契約を交わしたのだ。

 Sony BMGはこのiMeshの他にも、あのGrocksterと提携することを明言していたりと、 最近ファイル共有ソフトの分野で活発に動いている。

 そもそも親会社のソニーは、以前からファイル共有ソフトを敵視するというよりも、その可能性を探っていた企業のひとつだ。 あまり知られていないことだが、日本のファイルローグを訴えた原告団にはソニーミュージックエンタテインメント(SME)は加わっていない上に、 ソニーの前CEOである出井氏は1997年の時点で、 ネットを利用したセキュアな音楽配信システムを構築するようソニーミュージックに要求していた。さらに2002年には、 P2Pを活用するために独Bertelsmanとアライアンスを結んでいる(BMGの元の親会社はBertelsman。 米国SMEとBMGが合併した伏線がここにある)。

 が、その割には、これまであまりにもアクションが少なく弱かったように思う。結局のところ国内のSMEは、 自社製の音楽配信サイトを細々とつづけているだけで、P2PのPの字も見えない。音楽業界の盟主であるソニーが出遅れたせいで、 全体が波に乗り切れなくなってしまった感が否めない。

 その影響はもちろん、ファイル共有ソフトにもあった。旧Napsterの段階ですでに、 それをビジネスとして活用する方法はいくらでもあったはずだ。もう少し音楽業界側がポジティブな判断を下していれば、 ファイル共有ソフトも日陰者にならずにすんだのだが。

 とはいえ、ファイル共有ソフトの合法利用が音楽業界側で強まっているのはいい傾向だ。願わくば、この流れを断ち切らないでもらいたい。

投稿者 KATANA : 18:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月05日

ファイル共有ソフトの行方
P2P

 アメリカの最高裁で、ついにP2Pファイル共有ソフトに対する判決が出された。原告側の主張を認めるもので、 同ソフトの提供者側に著作権侵害を助長した責任があるとするものだ。

 現在、WinMXやWinnyなどのファイル共有ソフトでは著作権侵害が蔓延していることは疑いない。それは、 有名映画や楽曲ならばほぼ間違いなく手に入ることからもわかるだろう。

 しかし実は、絶対数はわからないのだ。P2Pのネットワークは基本的に中央をもたず、個々が有機的につながり合うため、 全体像がきわめて把握しにくい。つまり、分母が正確にはわからないのだから、当然ながら「全体の~%が違法ファイル」 などとは言えないことになる。

 ここに、ファイル共有ソフトを批判する著作権者側の主張における欠点がある。全体の9割が違法ファイルだとする意見もあるが、 実際にはその論拠は乏しいわけだ。

 同様に、被害がどれくらいであるのかもはっきりとはしない。そもそも著作物のような情報財は、通常の物的な財が“盗まれた”場合と違い、 オリジナルは手元に残っている。音楽ファイルがコピーされるのと、スピーカーが盗まれるのとでは、まったく性質が異なるのだ。

 結局のところ、著作物が違法に複製される際の被害は、“将来の売上に対する期待”を喪失しているにすぎない。 これについては別の機会にくわしく述べることにするが、簡単に言えば「海賊版被害額」などというものはかなり曖昧な概数にしかすぎず、 被害額が本当に算定できるはずもないのだ。

 さて、これらを踏まえた上で今回の判決について考えてみよう。 裁判所はソフトの提供者に著作権侵害を助長した責任があるとしているが、これは甚だ遺憾だ。 以前のNapsterのようなハイブリッド型P2Pならばともかく、 現在の中央が存在しないファイル共有ソフトのネットワークでは管理のしようがない。

 ならば、一体どうしろというのか? 結論は、どうしようもない。ファイル共有ソフトの“提供者” に責任ありとすることは、すなわちファイル共有ソフトの存在自体を否定するということだ。

 つまり、それこそがレコード協会をはじめとした大手の著作権者が望んでいることなのだろう。著作権侵害の主体は、 まぎれもなく各ユーザーである。匿名性が高いといわれていたP2Pネットワークも、今では個人を特定することができるようになっている。 著作権者側は、違法行為をするユーザーを個別に責任を問うことも可能なのである。しかし、著作権者側はあくまで「ファイル共有ソフトの提供者」 を敵視する。

 ここに違和感がある。レコード協会などは個別にユーザーを訴えることもしているが、効果のほどは判然とせず、費用ばかりがかさんでいく。 つまるところ、著作権者側は著作物の保護にかかるもろもろの費用を、別の存在へと転嫁しようとしているだけではないのか。

 実際、もしファイル共有ソフトが消えることになったら、 大手の著作権者側にとっては目の上のたんこぶが消えてくれることになる。しかし、 同ソフトは大きな可能性を秘めたものだ。今は一部にすぎないかもしれないが、有効な使い方も出はじめている。

 そうした中でファイル共有ソフトがなくなるのは、けっきょく大半の人々にとってマイナスとなりかねない。すなわち、 レコード協会をはじめとした大手の著作権者は、自身の著作権保護にかかる費用を一般の人々に分散させようとしているとも考えられる。

 はたして、社会的な見地から考えた場合、それは許されるのだろうか。著作権保護は、 それほどまでに絶対的になされなければならないことなのだろうか。被害の程度自体もあいまいだというのに。

 幸いなのは、今回の最高裁の判決ですべてが終わったわけではないということだ。審理は下級審へ差し戻され、もう一度やり直される。 提供者側に責任ありとされたことは痛手だが、まだ可能性は残されているのだ。

 技術だけではなく社会の未来のためにも、アメリカの裁判所にはより客観的な判断を下してほしい。現代はよくも悪くも、 アメリカ中心に回っている。ソニーとのベータマックス訴訟のように、たとえアメリカ国内の裁判であっても世界に与える影響は大きいのだから。

投稿者 KATANA : 16:25 | コメント (0) | トラックバック