
2006年10月02日
ディープショック……
競馬ファンなら誰もが注目していたフランスの凱旋門賞。日本のディープインパクトが果敢に挑戦し、現地でも単勝オッズが1.1倍と圧倒的な人気を得ていたが、惜しくも3着に終わってしまった。
レース展開を改めて振り返ると、ディープのずっと課題だったスタートがうまくいきすぎたのが、かえって裏目に出てしまったように感じる。序盤から先行する形になったから、相手を見ながら追う得意の展開に持ち込めなかった。
それに、最後の直線の仕掛けがやや早すぎたか。正直、最後に差されてしまうディープの姿は見たくなかった。
他にもロンシャンの粗雑な芝が合わなかったのかもしれないなどいろいろと理由は考えられるが、ディープも武騎手も全力を尽くしたと思う。今は素直にお疲れさまと言いたい。
それにしてもレースが終わった直後は、悔しいというより強烈な喪失感を覚えた。絶対に勝てるという期待が大きすぎたのだろうか。本当に勝負事というものはわからないものだ。
# 今年はディープとフサイチジャンクを応援していただけに、切ない1年になりそうだ(苦笑)
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/leisure/21650/
投稿者 KATANA : 15:21 | コメント (2) | トラックバック
2006年08月08日
日本人のメンタリティ
世界戦以来、亀田興毅の周囲が騒がしい。
確かに判定は微妙な面があったわけだが、どうにも騒ぎすぎの気がしてならない。どうしてこうなってしまったのだろうか。
ひとつには、間違いなく亀田興毅の普段の言動が原因にある。強気すぎる態度や対戦相手へのあからさま挑発は、そういったパフォーマンスを好む人々がいる一方で、反対に明確に嫌う人々もいる。これまでは試合にKOで見事に勝っていたから後者は比較的沈黙していたのだが、疑惑の判定のせいで一気に不満が噴出したのだろう。
また別の面では、日本人特有の性質も考えられる。もしここがイタリアだったら、サッカーのW杯でジダンを退場させたマテラッツィを称賛したことからもわかるように、とにかく亀田興毅が勝ったことに満足したはずだ。
しかし、日本人は違う。たとえ勝ったとしても潔いものでなければ、その価値を認めたがらない。ジダンに対する同情心が強く、2002年のW杯で快進撃をつづけた韓国に疑惑の目を向けたのもそれが原因だ。
だから今回の騒ぎは、日本を象徴しているものとも言える。一方では暗い時代背景を反映しているのか、“強い存在”を欲している人々がいる。もう一方では絶対的な存在を嫌い、出る杭は打とうとする。結果として、亀田の擁護派と批判派がはっきりと分かれることになる。
ただ、彼に対する批判的な意見が強いのは本当にそれだけだろうか。私はその背後に、どうにも暗いものを感じてならない。
結局、批判派は亀田興毅がうらやましいのだと思われる。いつも強気で本当の力量もあり、父や兄弟と強い絆で結ばれている。今は難しい時代で家族崩壊が叫ばれて久しいからこそ、羨望の目を向けたとしてもなんら不思議はない。
批判派はつまるところ、そうしたうらやましいという気持ちをネガティブな方向へ働かせてしまっているのだろう。「うらやましい、だから自分もああなれるように頑張る」というようにポジティブな方向ではなく、「うらやましい、でもそれを認めたくないからアイツを否定したい」という悪い方向へ。
はっきり言って、これでは誰も救われない。相手を下げることで相対的にみずからを高くしようとすることは、実質的には自分の程度の低さを露呈するようなものである。他人の不幸は蜜の味というが、それは自分を駄目にする禁断の味でもある。こういったことを続けるかぎり、本人はさらにひどくなることはあっても良くなることはけっしてないと断言できる。
さらに、貶められた側も快く思うはずがないだろう。たとえ中身のないものであって誹謗中傷がつづけば、やがてはそれに押しつぶされてしまうことも有り得る。誰も救われないとはこういった意味である。
そもそも今回、亀田興毅自身は自分のやれるかぎりのことをやったのだ。判定に問題があったとしても、それはジャッジの側の責任であって亀田にはなんの落ち度もない。判定を理由に彼を非難するのはお門違いである。ましてや、たいした証拠もないのに憶測だけで八百長を疑うなどというのは、愚かしいにも程がある。
批判派は亀田にとやかく言う前に、一度自分のこころを見つめ直してみたほうがいい。そのうえでやはり亀田が悪いと思うなら、堂々と批判すればいいだろう。しかし、自身の内側にある黒い部分に気づきながらもそれから目を背けるようでは、もはやその人に未来はない。
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/13778/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/13808/
generated by feedpath
投稿者 KATANA : 14:09 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月04日
亀田の本当の自信
今回はやはりタイトル戦ということもあり、プレッシャーもあったのだろう。いつもの動きの切れがなかったように思えた。事実、第1ラウンドでまさかのダウンを喫し、第11ラウンドではKO寸前まで追いつめられた。
それでも耐えに耐えて、ポイントを稼ぎながらもぎ取った勝利だといえる。これは、いつも通りにKO勝ちするよりも、何倍も亀田興毅に自信を与えたのではないだろうか。
確かに、判定は微妙だった。対戦相手のランダエタはとにかく手数が多く、それを評価されたら危なかった。事実、ジャッジの一人は3点差をつけてランダエタの勝ちとしたくらいだった。
しかしひいき目もあるかもしれないが、有効打は亀田のほうが多かったように思う。相手に追いつめられたのも1・11ラウンドだけで、反対に亀田がランダエタをロープ際まで追い込む場面のほうが目立っていたのではないだろうか。
だいたい、元世界王者で現・ボクシングジム会長の大橋秀行氏でさえ、「自分の採点は引き分けだった。亀田が1~2ポイント勝っていてもおかしくはない」と言うくらいなのだから、ただのファンが判定のことをさもプロのようにとやかく言うのはおかしい気もする。
だから、結局はどちらに転んでもおかしくない内容だったのだと思う。3人目のジャッジの判定が1点差だったことがそれを物語っている。
19歳亀田のあの驚くべきがんばりを素直に賞賛しようではないか。少なくとも私は、亀田一家に感動を与えてもらった。久しぶりに“見てよかった”と思える試合だった。
【関連サイト】
http://kobaruto.blog11.fc2.com/blog-entry-226.html
投稿者 KATANA : 09:03 | コメント (0) | トラックバック
2006年07月11日
F1グランプリの金曜日が変わる?
エクレストンがF1グランプリの金曜日を改革しようとしているようだ。
これまでその日はフリー走行に当てられていたが、サードドライバーが走ることが多い一方でその他の選手は本気で走ることはめったになく、なんとも緊張感のない1日になってしまっていた。
そこで金曜日はテストの日とし、それ以外の空いた時間をファンとの交流に当てようというのが今回の改革案のようだ。
これはいい傾向だと思う。F1もプロスポーツのひとつでありながら、スポンサーの獲得に躍起になるばかりで、肝心のファンへのサービスがまったく物足りなかった。ルノーのフラビオ・ブリアトーレでさえ「これまであまり観客のことを考えてこなかった」と認めている。
ただ、その彼が「我々は娯楽を提供すべきだが、レースは退屈だ」とまで言っているのはいろいろと考えさせられる。やはり当事者も、現在の見せ場の少ないレースにあまり魅力を感じていないのだろう。確かに、抜きどころがピット作業の直後だけというのは、ファンとしてもあまりに寂しい。
それはともかく、金曜日が改革されればサードドライバーの存在が事実上、意味のないものとなる。実際、FIAは来シーズンからサードカーを廃止にするようで、日本人ファンとしてはスーパーアグリの山本左近がどうなるのか気になるところだ。
それでも、こうして改革をどんどん進めていくことはいいことだろう。何かと批判されることの多いFOMやFIAだが、けっして悪意をもってF1を駄目にしようとしているわけではないのだから。
投稿者 KATANA : 13:27 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月11日
あきらめるな、井出!
またしても、井出が受難……。というより、今回のがある意味では最悪だ。なんと、FIAから一方的にスーパーライセンスの剥奪を言い渡されてしまった。
いったいどういうことだろう? アルバースのクラッシュに関しては、井出への戒告処分という形で決着したはずだ。それがスーパーアグリへのテストドライバーにしろという「アドバイス」の後で、ついにはスーパーライセンスの剥奪。
だったら、なぜ初めからそうしなかったのか。最初からSライセンスの剥奪によってドライバーズシートを失うのなら、本人も周りもまだ納得できたはずだ。
ライセンスの剥奪が厳しすぎると感じると同時に、こんな回りくどいヤラシイやり方をすることに対して怒りさえ感じる。FIAに対しては前々から不信感はあったが、もしかしたら“嫌悪感”を覚えたのはこれが初めてのことかもしれない。
しかも、スーパーアグリは次のドライバーを「国籍ではなく経験で決める」そうだ。開幕5戦目にして早くも“オールジャパン”というテーマが崩れはじめた。最近のチーム内でのバタバタやレースでの不本意な成績を含めて、先行きがだんだんと薄暗くなってきた。
スーパーアグリには頑張ってもらいたいが、ホンダ・トヨタも含めて今シーズンの日本勢はどうにも釈然としないものが残る。しかし、井出選手だけはこれからも純粋に応援しつづけたい。
人は、苦しいときこそ真価が問われる。あきらめるな、井出!
投稿者 KATANA : 17:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月06日
井出はサードドライバーにもなれず
井出のドライバーズシート喪失は日本のファンを大きく失望させ、スーパーアグリへの不信感を強めることになったが、それをさらに助長するようなことがまた起きた。
てっきり、井出はセカンドドライバーからサードドライバーへ降格されたものと誰もが思っていただろう。しかし、実際には「テストドライバー」になるだけであって、つまりグランプリのフリー走行にさえ出られないことになってしまったのだ。
いったい、スーパーアグリというチームは何がしたいのだろう? ただでさえ急遽ドライバーを変えたことにヨーロッパのメディアでさえ一部は首を傾げているというのに、それに拍車をかけるようなことをするとは……。「オールジャパン」が聞いて呆れる。日本人選手にF1への道を切り開くことがひとつの使命ではなかったのか。
この点、チームはもちろんだが亜久里代表の対応にも疑問が残る。メディアの取材に対して、井出が「かわいそう」という言葉を連呼していたが、本当にそう思うなら自身が先頭に立って彼を擁護すべきではなかったのか。それとも、チームに対してそれができるだけの統率力が現在の彼にはないのだろうか。
私自身、これまでスーパーアグリというチームをかなり好意的に見ていたものの、今回の一件で一気に不信感が増してしまった。現場ではやむにやまれぬ事情があったのかもしれないが、ならばそれを少しでも説明してほしかった。
いずれにせよ、井出だけはこれからも素直に応援しつづけたいと思う。この悔しさを忘れなければ、必ず這い上がってこれるはずだ。
投稿者 KATANA : 19:18 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月05日
井出騒ぎに見る“セナ・ショック”の後遺症
残念なことに、F1・スーパーアグリの井出有治がドラバーズシートを失うことになってしまった。
結局は、サンマリノGPでアルバースを派手に横転させてしまったことが響いたようだが、それ以外にもチームメートの佐藤琢磨より大幅にペースが遅かったり、周回遅れになる際にマシンのパスのさせ方がいまひとつだったりしたことも評価を下げる結果となってしまった。
ただ、少なくとも自分の目には、あのクラッシュがすべて井出の責任だとは思えない。アルバースはスタートに完全に失敗して大幅に遅れ、1コーナーのラインに最初にのっていたのは井出だったと思う。そこをアルバースが無理にインにかぶせたか、もしくは後方をまったく見ていなかったのではないか。
彼が来るのに全く気づかなかった。すごくびっくりしたよ。
もちろん80~90%以上、井出の側に非があることは事実だが、それにしても周りが騒ぎすぎるように思える。
これはやはり、アルバースのクラッシュがあまりにも派手すぎたためだろう。もし通常のコースオフだけだったならここまでの騒ぎにはならなかったはずだ。事実、サンマリノ以前には力量が足りないとする声はあったものの、明確な批判はほとんどなかった。
私はこの辺から、どうも“セナ・ショック”の後遺症というか、F1関係者における“クラッシュ・アレルギー”が感じられてならない。実際、年寄り連中ほど井出の批判をしていることを思うと、無関係ではないように思う。
あの94年は、セナの事故だけでなく他にもひどい事故が相次いだ。サンマリノGPだけでも、ラッツェンバーガーが亡くなり、バリチェロも一時意識を失うほどのクラッシュをしている。
そして今年、同じサンマリノGP。しかも、若手ドライバーが最強チャンピオンを追うという状況の一致。あのアルバースの派手なクラッシュに、12年前のことを思い出した人も多いだろう。
言うまでもなく、セナ・ショックがあったからこそ彼が最後まで望んでいた安全性の追求が劇的に押し進められることになり、結果アルバースはほとんど無傷ですんだ。
しかし、モータースポーツにクラッシュは付きものだ。安全に走っているだけでは、ただのドライブになってしまう。
安全性の追求は非常に大切なことではあるが、それに偏りすぎるとレースがレースでなくなってしまう。F1参戦1年目のルーキードライバーを、もう少し長い目で見てあげてほしかった。
もしセナがあの場にいたとしたら、井出を責めただろうか、それともあえて許しただろうか。
投稿者 KATANA : 11:36 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月29日
ドーピングの魔力
信じがたいことだが、米マイナーリーグでメジャーへの挑戦を続けている入来投手が、ドーピング違反で50試合の出場停止処分を受けてしまった。
何かの間違いだと思いたいが、アメリカではプロに限らず、もはやアマチュアの世界でさえ“ドーピングまみれ”になっているから、マイナーの選手が禁止薬物に手を出してしまっても驚くに値しない。
しかし、問題はドーピングからは縁遠いと思われている日本人選手まで、アメリカに行くとその罠にはまってしまうことだ。入来の他にも、当時AAにいた養父も処分を受けている。
つまり、日本人がドーピングに手を出さないのは意志が強いからではなくて、ただ単に周りの環境が薬物に汚染されていないというだけのことなのだ。だから日本人でもアメリカのようなドーピングが当たり前の国へ行くと、その誘惑に負けてしまう。
やはり、ドーピングは麻薬のようなものだ。一時的にはいい思いをすることができるが、後でとんでもないしっぺ返しを食うことになる。それがわかっていても、どうしても手を出してしまうのが人間の弱さだろう。
だから、イタリアのように法律でドーピングを禁止すべき時期に来ていると思う。スポーツに大きな魅力がある今、卑怯な手段を使ってでも成功したいと考える若い選手が出てきてもなんら不思議はない。
ドーピングは麻薬と同じ――この考え方はけっして過激なものではないはずだ。
投稿者 KATANA : 11:56 | コメント (2) | トラックバック
2006年04月25日
ホンダの未来は……
いい意味で印象的だったのはM・シューマッハだったが、悪い意味で強烈だったのはホンダの失態だ。
F1Racing.netによると――
ルーベンスの最初のピットストップでは彼の給油リグが機能しなかったために、急遽ジェンソンのリグに交換した。ジェンソンの最初のストップでは右リアホイールのナットに問題があり、2回目のストップでは給油ノズルが外される前にロリーポップが上げられてしまった。クルマが引っ張ったために、多くのメカニックが給油ホースによって弾き倒されてしまった。
あまりにお粗末だ。給油機のトラブルは不運なようにも映るが、これもチェックが甘いと言われればその通りだろう。あまつさえ、ロリーポップを早く上げてしまうなどという単純極まりないミスが出てしまっては、怒りを通りこして呆れるしかない。
こういったあるまじき失敗は、BARの時代から続いている。給油のミスも今回が初めてではなく、昨シーズンは満タンのマシンにさらに注ぎ込むということまでしでかしているのだ。
これらが、スーパーアグリのような下位チームに出るならまだわかる。しかし、優勝を目指すチームにあっていいミスではけっしてないはずだ。
似たようなミスを繰り返すことは、スポーツチームに限らずおかしくなってしまった組織に共通する特徴だ。おそらく、かなり思いきった人事をしなければ、こうしたことはなくならないだろう。ディレクターを含め、BARスタッフを大幅に切り離したほうがいいのかもしれない。
仮にルノーが撤退したら、あのフラビオ・ブリアトーレが浮く可能性がある。ホンダとトヨタは、抜本的な改革のために彼を獲得するのもひとつの有効な手段だと思うのだが。
投稿者 KATANA : 14:41 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月24日
復活の赤き皇帝
久しぶりに見ていて感動したレースだった。
レースの序盤はミハエル・シューマッハが逃げ、フェラーリの狙い通りであるかに思われた。
しかし中盤以降、アロンソが1周ごとに1秒以上差を縮めるという凄まじい勢いの追い上げで、ほとんどあっという間に差を詰めていった。
それ以降は、ずっとミハエルとアロンソの一騎打ち。すごいのは、どちらもまったくミスをしないことだ。そのおかげで、見ているほうが緊張するほどのバトルが延々と続いていた。
そんな中、先に動いたのはアロンソだった。予定より早く2度目のピットイン。これでいったんミハエルと離れたうえで、タイムを稼いで実質的な差を詰めることで相手がピットインしている間に前へ行く作戦だったのだろう。
しかし、フェラーリもすぐに動く。ミハエルのマシンがピットアウトしたとき――アロンソはまだ後ろだった。
ただ信じがたいのは、最後まで二人のテイル・トゥ・ノーズの戦いが続いたことだ。どちらもミスしない。どちらも速い。
それでも、今回ばかりはミハエルの執念が勝っていたように思う。フェラーリのホームレース、そして因縁の地サンマリノ。これまでのミハエル以上の迫力が感じられた。
先に根負けしたのはアロンソ。終盤に来てわずかにミスが出てしまった。ルノーが早めに動いてしまったのも、クルーがミハエルとフェラーリの迫力にどこかで押されてしまったためかもしれない。
勝ったのはもちろん、ミハエル・シューマッハ。ポディウムで無邪気に喜ぶ姿に、これまでの苦悩と今回の喜びがはっきりと表れているような気がした。
こういったレースを続けていれば、F1人気はますます上がってくることだろう。上位と下位の差がありすぎるような気もするが、一時は分裂もささやかれたF1界に明るい兆しが見えてきた。
投稿者 KATANA : 12:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月13日
ドラゴンズ、敵地で快勝
ここまで打撃不振にあえいでいたが、今日は敵地で大爆発。5点差をものともせずに逆転して貴重な勝利を得た。
最近のドラゴンズなら5点差をひっくり返す力はなかったはず。しかし雨天順延で間が少しあいたおかげか、選手たちはリフレッシュできていたようだ。
この試合は、本当にオレ竜らしい全員野球だったと思う。先発の山本昌は誤算だったが、中継ぎ陣がよくがんばってくれた。打線も集中打こそなかったものの、つなぐ野球で見事に逆転。これ以上の勝ち方はない。
それにしても、タイガース戦はこういった接戦のいい試合が多い。今はジャイアンツが走っているが、やはり最終的には竜と虎のマッチレースになりそうな予感がある。
投稿者 KATANA : 10:19 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月26日
万全のドラゴンズ
パリーグが開幕したわけだが、個人的に気になるのはセリーグのドラゴンズの動向だ。ここまで驚くほど順調に来ている。
オープン戦のチーム防御率は1点台、しかも中田・マルチネスといった若手も着実に伸びてきているうえに、昨シーズンは怪我で苦しんだ中継ぎ陣も戻ってきた。もともと、川上-岡本-岩瀬といったそれぞれの柱がしっかりとしているだけに、層の厚みが出てきたのはドラゴンズにとってさらなるストロングポイントになる。
打撃のほうでも、荒木・井端・ウッズ・福留の主軸は申し分ない。そこへルーキーの藤井が台頭し、ベテランの立浪が下位打線を支える。さらに森野が1シーズンを通して活躍できれば、これ以上のものはないだろう。
ただ、アレックスと谷繁の打撃不振が気になるところだ。それでも今シーズンのドラゴンズには、それをカバーできるだけのチームの余裕がある。
昨シーズンのように投手陣に怪我人が続出したり、交流戦で変なことにならなければ、今季のセリーグはドラゴンズの独走もありうるのではないだろうか。タイガースの主力ピッチャーに故障者が数人いるだけに、2004年の再来が現実味を帯びてきた。
投稿者 KATANA : 10:25 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月24日
世界一の重み
日本代表、世界一――もちろん期待はしていたが、まさか本当に世界の頂点に立ってくれるとは思わなかった。2次リーグで韓国戦に負け、一度は絶望的な状況に陥っていただけになおさらである。
それにしても勝ったことも負けたことも含めて、日本にとっては非常に劇的な大会となった。短期間でこんなにもいろいろなことを味わったのは、野球ファンとしても初めてのことだ。
初めてといえば、「これぞ世界大会」という感じの緊張感も独特のものがあったと思う。私も長年野球の試合を観てきたが、試合の最初から最後まで気持ちが昂ぶっていたのは自分でも驚きだった。
ともかく、さまざまな感動を与えてくれた選手やコーチ陣には感謝したい。これこそが、スポーツ選手の役割だ。
ただ、なまじ凄まじい経験をしてしまったがために、われわれファンはもう普通の試合では満足できなくなっているのかもしれない。今の勢いをプロ野球に活かせるか、それともファンを失望させてしまうのか。
「改革元年」と呼ばれた昨年以上に、今シーズンは日本球界にとって大きなターニングポイントになりそうだ。
投稿者 KATANA : 20:12 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月05日
本当の強さ
スキー・モーグルの上村愛子選手のブログを見て驚かされた。ファンからかなりのコメントやトラックバックが寄せられていて、しかもそのほとんど好意的なものなのだ。こうしたことからも、ファンから愛されている選手なのだなと強く感じられる。
彼女の自分のためだけではなく、周りの人々のためにがんばる姿が共感を呼んでいるのだろう。最近はサッカーや野球などの人気スポーツを中心に、けっきょく自分ことしか考えていないアスリートが多いだけに、上村選手のような存在は貴重だ。
だから、メダルを取れなかったことを気にする必要はないと思う。そうした誰かのためにという姿勢を見せてくれているだけで、私たちファンは十分感動を与えてもらっているから。胸を張って堂々としていればいい。
五輪ではプレッシャーに負けたと指摘する声もあるが、上村選手のこころは弱くない。自分以外の人のために頑張ろうとすることができること自体、本当のこころの強さを証明している。
先日亡くなられた元ジャイアンツの故・藤田監督は、当時精神的な弱さを指摘されていた斉藤投手に対して「お前は弱いんじゃない。優しいだけなんだ」と声をかけ、意識改革を行ったそうだが、この言葉が見事に象徴してくれている。
仮に誰かのためという思いがプレッシャーとなってしまったとしても、それは弱さなどではなく“強さ”であり“優しさ”なのだ。
それに、みずからの弱さを自覚することそのものが真の強さへといたる道だろう。それから目を背けて逃げているかぎり、偶然試合に勝つことはできても最も大事な“人間の基礎”は形成されことはけっしてない。
けれど、上村選手はきちんと自分自身と向き合えていると思う。一ファンとして、4年後のバンクーバーまでなんの心配もしていない。
あとは、自分自身がどれだけ楽しめるかにかかっているのではないだろうか。根源的にスポーツとは自身がエンジョイするためにやるものなのだから、けっきょく大舞台でも“楽しんだもん勝ち”だ(笑)。
もちろん、誰かのために頑張ることは素晴らしいことではある。けれど、純粋に自分がスキーをすることをひたすら楽しむ上村愛子を見てみたい気もするのだが。
投稿者 KATANA : 20:06 | コメント (0) | トラックバック
トリノを振り返って
トリノ五輪が終わって1週間が経とうとし、パラリンピックの幕が開こうとしている。
少し時間が空いたことで“荒川フィーバー”も落ち着きを見せた感があるが、その一方で他の競技の結果は全体的に厳しかったというコントラストが激しい。その要因はどこにあるのだろうか。
もちろん、実際にプレイする選手たちの責任がもっとも大きいことは事実である。また、コーチ陣などバックアップする立場の人々の力不足もあっただろう。
しかし、個人的に一番気になっているのが国内の環境だ。練習をしたくともそのための施設が整っておらず、生活面での不安も解消されていないのでは、選手に過度の期待を背負わせるのは酷というものだ。
スピードスケートのショートトラックでは、生活の問題で最悪全員がやむにやまれず引退する可能性もあるという。
今をときめくフィギュアスケートでさえ経営不振に陥ったリンクが次々と閉鎖され、金メダルを取った荒川静香も練習場所を海外に求めざるをえなかったことを思うと、先行きに不安が残る。
こうした問題は、これまで実業団におんぶにだっこでクラブやプロを整えてこなかったツケが回ってきた結果である。つまり、ウィンタースポーツだけの問題ではけっしてない。今はまだサマースポーツの体制はそれなりに整っているが、いつウィンタースポーツの二の舞になるとも知れない。実業団野球の現実を見ると、すでに起きているといってもいいだろう。
Jリーグでは欧州の総合スポーツクラブを目指しているが、時間がかかりそうだ。トップ選手だけでなく、誰でもスポーツを楽しめる環境を整えないかぎり、日本スポーツ界の先行きは暗い。
行政や企業によるクラブへの支援を期待するだけでなく、スポーツに関わるそれぞれが少しずつでもいいから活動していくことが最も求められていることではないのだろうか。
投稿者 KATANA : 01:48 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月26日
荒川静香の金メダル
荒川静香がやってくれた。今大会日本人初の、そしてフィギュアスケートでは欧米以外で史上初の金メダルを獲得!
ここまでいくら応援すれども結果がなかなか伴わない中での最高の結果だけに、本当に涙が出そうなくらいに嬉しかった。しかし、本人はいたって冷静。この辺りが荒川の強さなのだろう。
それにしても、これ以上ないという大舞台で自己最高の演技をしてみせるとは恐れ入る。他のメダル候補の選手たちがあからさまに崩れていただけに、余計に荒川のすごさを感じられた。
フィギュアではせめて銅メダルでも取れればいいと思っていたら、最高の結果が待っていた。まさか大会の終盤で、表彰台の頂点に立つ日本人選手を見ることができるとは思っていなかった。
心からありがとうと言いたい。スポーツの意義はプレイする選手本人が満足するだけでなく、周りの人々に感動を与えることも含まれると思う。荒川は金メダルを獲得したことにプラスして、代表選手としての責任を見事に果たしていた。
Bravissimo, Shizuka!
#「金芽米」はオイシイなぁ(笑)。
投稿者 KATANA : 01:56 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月17日
トリノの呪い?
これはトリノの呪いなのか……。岡崎朋美につづいて最もメダルに近づいたスピー・スケート・女子チームパシュート3位決定戦で、途中までリードしながら残り2周でまさかの転倒。届きかけていたメダルがまたしてもこぼれ落ちてしまった。
さらに男子フィギュアでも、ショートプログラム5位につけていた高橋が4回転に失敗して転倒。表彰台の夢は泡と消えた。
流れの悪い時はこんなものだとはいえ、いくらなんでも日本選手団にツキがなさすぎる。このままだと、本当に後の選手ほどプレッシャーが大きくなってやりづくらなってしまう。
この負のスパイラルからなんとか抜け出してほしいが、大会7日目までにメダルを期待されていた選手の大半が消えてしまったのは事実。どこかでニューヒーローが現れてくれるのか、それとも最後まで……。ともかく、あきらめずに応援したい。
投稿者 KATANA : 19:43 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月16日
個人競技のチーム
トリノ五輪で、日本勢はあいかわらず呪われているかのようにメダルに手が届かない。
この冬季オリンピックは、大半が個人競技だ。だから、ほとんどの選手が独自に活動をつづけていても驚くに値しない。ウィンタースポーツの選手たちは、スキー・スノーボード陣をはじめとして意外にプロが多いからなおさらだろう。
しかし、私が気になっているのはまさにこの点だ。オリンピックはただの国際大会ではない。国の代表として出場するものだけに、普段の試合以上にプレッシャーが大きいのだ。
そうした中で、個人(もくしはコーチやアシスタントを含めた少数のチーム)で活動することには多くのデメリットがあるが、ここは反対に同じ競技でまとまったチームとして動くことのメリットについて考えてみよう。
まず第一に、上記のプレッシャーをもろに受けずにすむことだ。たとえ個人競技でも同じ種目の選手たちといっしょに行動していれば、それだけで気がまぎれ、落ち着くことができる。本番の際に応援してもらったり、そばにいてもらったりすれば大きな励みになるだろう。
二つ目は、調整がしやすいことだ。普段からチームとして活動していれば、オリンピックの直前練習でも通常どおりの練習を重ねることができる。そのうえ、さらに精神的にも落ち着けるはずだ。
三つ目は、コーチでなく同じ選手に直接相談ができること。選手同士でしかわかり合えないことは意外に多い。そしてコーチの側もお互いに情報交換できるメリットがある。
夏季アテネ五輪では日本勢が大躍進を遂げたが、柔道・水泳陣をはじめ、まさにこのチームとして動くことの利点を最大限に生かしていた。いずれも個人競技ではあるが、チームの勝利と言い換えても問題ないだろう。長期合宿などの成果が出たのである。
ひるがえって、今回のトリノ五輪はどうなのだろうか。どうも普段だけでなく、場合によっては直前の調整から実際の試合にいたるまで独自に活動をしていたケースが多いようだ。それだけに、これから出てくるフィギュア勢も気がかりではある。
スノーボード・ハーフパイプで強さを見せつけたアメリカ。試合後に選手同士で抱き合って喜び、コーチ陣が笑顔で握手を交わし合う姿に“チームとしての強さ”が感じられた。
投稿者 KATANA : 17:25 | コメント (2) | トラックバック
2006年02月14日
トリノ五輪の悪い流れ
トリノオリンピックで日本の代表選手たちが非常に苦戦している。これまで大会3日目を終えてメダルはゼロ。期待が大きかっただけに、失望感と意外な印象が強い。
気になるのは、全体として悪い流れができてしまっていることだ。メダル有力といわれた選手たちがむしろトップとの実力差を見せつけられ、スノボー・ハーフパイプ陣はまさかの惨敗、ジャンプ・ノーマルヒルの原田は“有り得ない”規定違反による失格、ノルディック複合の高橋大斗は腰痛から棄権と、普通では考えられないようなことが悲しいくらいに重なってしまっている。
冬季五輪は確かに、大半が個人競技ではある。しかし日本の代表として出場している以上、どうしても選手団としての動向に影響を受けざるをえない。
これは漠然としたことではなく、明確な理由がある。人間は周囲から常に影響を受けるものだから、他の日本人選手が苦戦していることを直接的にせよ間接的にせよ知ってしまうと、必ずなにがしかの精神的な“ゆらぎ”が出ることになる。たとえば、「○○が駄目だった。だから自分が頑張らねば」といったふうに。
もちろんこれがプラスに働けばいいのだが、大舞台ではたいてい余計なプレッシャーを感じることになってしまう。ただでさえ緊張の度合いが高まっているからだ。
だから怖いのは、悪い流れがつづくと後の選手ほどつらくなってくることだ。しかも坂道を転げ落ちるボールよろしく、いったん勢いがついてしまうとなかなか止めることが難しい。
しかし、誰かがどこかでこの悪い流れを断ち切るしかない。その筆頭が加藤条治だと思っていたのだが……不運に見舞われ、世界記録保持者の彼でも駄目だった。悪いときはこんなものだ。
どんな形でもいい。誰かが流れを変えれば、一気に好転する可能性もある。鍵は最初のメダル“1個”だ。
投稿者 KATANA : 12:53 | コメント (2) | トラックバック
2006年01月08日
WBCへの出場と辞退
ワールドベースボールクラシックの参加メンバーから、松井秀喜に続いて井口までもが離脱することになった。
WBCはただの世界大会というだけではなく、野球そのものの普及と球界全体の底上げという目的もある。特に野球人気の低下に苦しむ日本では、大会を成功させてひとつの起爆剤としたいところだ。
そうした中、日本で出場を辞退する選手が続出しているのは残念でならない。一昨年のゴタゴタのときも「自分はフィールドで頑張るだけ」と言っていた選手がいたが、通常時ならばともかく問題の起きているときに目の前のことしかやらないのは無責任以外の何ものでもない。
今回のWBC出場に関しても、そういった責任感の稀薄さがところどころで感じられる。結局は、自分のことしか考えていない選手が多いということだろう。
ただ、そういう選手を一方的に責めるつもりはない。各選手には出場を辞退する権利がもちろんあるし、彼らは自分のやるべきこと(=球団でプレイすること)はきちんとやっているのだから、胸を張っていればいいと思う。
しかしこういう選手がいるだけに、出場を快諾したイチローや松坂のすばらしさが際立つ。われわれファンとしても、こうした選手たちをWBCだけでなく普段から応援したくなってくるというものだ。
自分のことを優先する人間に何かを期待するほうが間違っている。少なくとも自分は、今のやる気のあるメンバーを応援したい。
投稿者 KATANA : 13:48 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月01日
正月と駅伝
年明けの朝、起きてすぐにニューイヤー駅伝をテレビ観戦した。全体的にハイレベルな走りで、優勝したコニカミノルタは大会記録に迫る勢いだった。沿道のギャラリーも多く、非常に盛り上がった大会だったと思う。
それを観ながらふと疑問に思ったのは、そもそもなぜ駅伝やマラソンの観戦の人気があるのかということ。野球のように激しいクロスプレイがあるわけでもなく、サッカーのようにファンタジックなプレイがあるわけでもない。ただ選手が走っているのを観るだけである。
これは推測だが、おそらく日本人の心性にマッチしているためではないか。ただひたすら走る、一歩一歩確実に踏みしめて前へ進む、苦しくてもあきらめない――長距離走には日本人を引きつける要素があふれているのだ。
それに、数十キロの頑張りが一瞬で失われてしまうというドラマもある。悲劇を好むことが多い日本人には、こうした場面も応えられないのだろう。
今回のTBSの中継は実況や解説がうまく、また俳句というバラエティ要素もうまく取り込んでおり、テレビを観ていて飽きが来なかった。正月から縁起がいい。今年はトリノ五輪や野球のWBC、そしてサッカーのW杯がついに開催される。なかなか楽しめる一年になりそうだ。
投稿者 KATANA : 19:31 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月20日
女子フィギュアの「医学的見地」って?
15歳の浅田真央が、なんと強豪が集うグランプリファイナルで完全優勝を果たした。本来ならばこれを純粋に喜ぶべきなのだが、今回ばかりはどうしても釈然としないものが残っている。世界でも最高クラスの実力をもつ彼女が、よりによってトリノオリンピックに出られないからだ。
国際スケート連盟は、「医学的見地」から15歳以下の選手の出場を制限しているという。それなら仕方がないか……と思ってしまうところだが、ちょっと待ってほしい。そもそも、この医学的見地とやらは一体なんだろうか?
同連盟のサイトをざっと調べてみたが、それについて説明している箇所は見つけられなかった。おいおい、これでは選手やファンに納得しろというほうが無理だ。医学的見地といわれると妙に説得力がありそうだが、そもそもその医学的見地とやらが間違っていたらどうするのか。
もちろん、おおよその推測はできる。プレッシャーのかかるオリンピックへの出場が、主に精神面において子供たちに悪影響を与えることを危惧しているのだろう。ただ、これだけでは首をかしげざるをえない。なぜなら、通常の大会でもプレッシャーがかかるのは当然であって、オリンピック出場だけを制限する理由には足らないからだ。
フィギュアスケートに限らず、アスリートは常に上を目指すものだ。にもかかわらず、15歳以下には頂点(オリンピック)を狙うなと言う。これは大きな矛盾だ。国際スケート連盟の真意はどこにあるのだろう。
ともかく、まずは曖昧模糊とした「医学的見地」とやらをはっきりさせてほしい。医学と一口にいっても、外科と小児科では判断が異なるかもしれないし、ヨーロッパの医学会と日本のそれとでは考え方じたいが違うかもしれない。このあたりの取材を、特に日本のマスメディアに期待したい。
投稿者 KATANA : 11:32 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月28日
田尾解任にみるイーグルスのフロント
イーグルスの田尾監督が解任され、いまは社会人野球の世界にいる野村氏が次期監督の有力候補となっている。
まず、突然の解任劇に少し驚かされたが、ある程度は予想していたことだった。
イーグルスは戦力的にどうしても厳しく、一年目はベテランと若手を併用していくとフロントと現場の合意のうえで今シーズンをスタートさせたはずだった。
しかし夏頃からだろうか、フロントが「どうせ成績が悪いのなら若手中心にしろ」と言い始めたのだ。現場からすれば「話が違う」。フロントの言い分にも一理あるが、そもそも球団としての方針を変えることになるのだから、ベンチが悪いような言い方には問題があった。また変えるなら変えるで、もっと話し合いが必要だった。
ともかく、この頃からすでに現場とフロントとの意識に齟齬が出てしまっていたと思う。もちろん田尾監督の責任もあるのは事実だが、あの戦力では誰が監督でもたいして成績は変わらなかっただろう。
少なくとも、あと1年は我慢すべきだったはず。今回の解任劇で、ファンや選手たちがフロントに対して大なり小なり不信感を抱いたことは疑いない。
考えてみれば、そもそも新球団の監督に経験のない人物をすえたこと自体に問題があったともいえる。つまり、今回のことはイーグルスのフロントがみずから自身の至らなさを認めたようなものだ。
おそらく、イーグルスは来シーズンも厳しいだろう。しかし岩隈と一場がオフにきちんと体を鍛え直して復調し、使える外国人選手を補強するだけでも、それなりに戦えるチームになれる。ノムさんの手腕に期待するだけでなく、フロントももっと頑張ってほしい。
投稿者 KATANA : 14:08 | コメント (3) | トラックバック
2005年09月26日
F1、アロンソが年間王者に
ついに2005年F1ドライバーズ・チャンピオンが決定した。
大方の予想どおり、ブラジルで史上最年少王者となったのはアロンソ。シリーズ序盤のマクラーレンの不調やマシントラブルに助けられた部分はあるものの、とにもかくにも堅実だった。
ライコネンがリタイアしても、アロンソは必ず表彰台にいる。マシンの戦闘力はどうしてもマクラーレンに劣っていただけに、なおさら年間王者の価値は高い。
本当に24歳というのが信じられないほど常に冷静沈着。ドライビングも無駄がなくて美しく、現時点でもすでに完成されたドライバーだ。今後が楽しみというか、少し末恐ろしい気すらする。
反対に、要所要所でことごとくつまづいてしまったのがライコネン。今回も予選で痛恨のミスをし、結局モントーヤの後ろで走り続けるしかなかった。マシントラブルに悩まされたという面もあるが、堅実さの度合いがアロンソとの差なのかもしれない。
ただ、ここ最近はマクラーレンの速さが際立っている。ドライバーズ・チャンピオンのアロンソでさえ今回はまともに追いつくことさえできなかった(安全重視だったとはいえ)。
ドライバーズ・タイトルは決まったものの、コンストラクターズのほうは2ポイント差の大接戦。残り2戦は、どう考えてもマクラーレン有利だろう。
それにしても、F1も世代交代が進んで面白くなってきた。“堅実”のアロンソ、“速さ”のライコネン。プロストとセナを彷彿とさせる構図だ。
さて、一方のわれらが琢磨。前回の追突に対するペナルティで10グリッド降格となったこともあり、予選はアタックせずに燃料とタイヤを温存し、本戦は1ストップ作戦に。惜しくも8位以上へは至らなかったが、きちんと“ホームGP”鈴鹿へ向けてのミッションは果たしたと思う。
BARからはじき出され、もう後がない琢磨。鈴鹿でガツンと速さを見せつけて、どうにかしてどこかのシートを確保してほしいと思う。
# 確か、バトンはウィリアムズとすでに契約していたはずだったが、どうなったのか。契約解消することができたのだろうか。
投稿者 KATANA : 22:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月20日
ドラゴンズの意地!
ホームでタイガースとの接戦に負けてからどうにもおかしくなってしまったドラゴンズが、ようやく意地を見せてくれた。
20安打12得点の猛攻。投げては初先発の佐藤がタイガース打線を2失点に抑える。ドラゴンズ・ファンにさえ、 まだ名前を覚えてもらっていない新人をいきなり大舞台で使うとは驚かされたが、 そのことがかえって選手たちを開き直りさせることに繋がったのかもしれない。最近の試合では“オレ流”が空回りしていただけに、 落合監督もうれしいのではないだろうか。
ただ、この試合で勝ったとはいえ、まだ7.5ゲーム差。残り2つの直接対決を勝ち、タイガースより3試合多い分をものにしたとしても、 4ゲーム差までしか縮められない。
厳しいことはわかっている。しかし可能性が残っているかぎり、ドラゴンズの選手たちには最後まであきらめないでほしい。 すんなりタイガースを優勝させるな!
投稿者 KATANA : 17:22 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月26日
本当に部員たちには責任がないのか――駒大苫小牧問題に寄せて
いま、駒大苫小牧高校の野球部部長が引き起こした暴力が事件が、野球界だけでなく世間を騒がせている。 学校側が以前から問題を把握していながら隠蔽し、さらには同校が夏の甲子園で連覇という偉業を達成したことが、 かえって火に油をそそぐ形になっている。
今回は明徳義塾の場合と異なり、いろいろな要因が絡まり合っているためにやや混乱している人も多いと思う。こういった際には、 問題をひとつひとつ別個に考えていく必要がある。
第一には、理不尽な暴力を振るい続けていた部長の責任。これについては、議論の余地はない。明らかにその部長に問題があり、 教育者としてあるまじき行為をはたらいたのだから、できうるかぎり厳しい処分を下すべきである。一部報道によると、被害者の部員に対して 「苫小牧を歩けなくしてやるぞ」と脅迫までしていたという。情状酌量の余地はない。
第二には、学校側の管理責任の問題である。暴力事件を以前から知っていながらそれを隠蔽し、あまつさえ発覚後に虚偽の発言までしている。 本来ならば、問題がわかった時点からできるだけ速やかに事実関係を明らかにし、被害者の保護・補償、加害者の処分を行うべきであった。
にもかかわらず現実にはむしろ事実を隠蔽し、さらには被害者側に対して「殴られたのを3、4発にしておけば秋季大会に出られる」 などと圧力をかけていたという。言語道断である。この点の責任もはっきりしているのだから、 高野連だけでなく教育委員会や文部科学省からなんらかの処分を学校側に課すべきだろう。
そして第三には、現場責任者としての監督の問題である。暴力は練習中にも振るわれていた。ならば、 そのことを監督は知っていたはずである。仮に知らなかったとしても、部内のことをきちんと把握していなかった責任からは逃れられない。 監督にも問題があったのである。ちなみに当初、監督は暴力事件について知らなかったとしていたが、 後になって学校側と同じく以前から知っていたことを認めている。
最後に第四として、被害者以外の部員たちのことがある。 いろいろな問題が絡み合っている事件ゆえに前置きが長くなってしまったが、今回の記事ではこのことをメインに話を進めていきたい。
さて、世間一般ではどうやら「部員たちに責任はない」とする意見が有力なようである。確かに、 問題を起こした張本人は指導者の側である部長にあり、隠蔽問題も学校と監督側に責任がある。そういった意味では、 当の被害者だけでなく他の部員たちも騒ぎに巻き込まれた被害者であるということもできよう。
しかし、本当にそうだろうか。私はあえて疑問を呈したい。先に、監督は現場での出来事を知っていたならば、 彼にも責任があるということを示した。ならば、 暴力事件が起きていたまさにその現場にいた他の部員たちはそのとき何をやっていたのだろうか。 チームメイトが目の前で理不尽な暴力を振るわれていたのである。そのとき何をやっていたのか。ましてや、 被害者は顎の噛み合わせがおかしくなってしまうほどの怪我を負っていたのである。知らなかった、気付かなかったなどという言い訳は通用しない。 仮に本当にわからなかったとしても、チームメイトの苦境に気付いてやれなかった責任は重い。
もし、他の部員たちが部長による仲間への暴力に対して見て見ぬふりをしたり、知らぬふりをしていたのならば、やはりその部員たちを 「責任なし」とすることはできない。
ここに断言しよう。彼らは仲間を見捨てたのである。
人間は弱い生き物だから、おそらく自分の身がかわいかったのだろう。しかし、そんなことは言い訳にはならない。 確かに学校の先生でもある大人の部長に対して、高校生が個人で立ち向かうのは勇気がいる。しかし、 そういった時にこそチームとしての力を活かすべきではないのか。一人でやるのが難しいのならば、仲間と一緒にやればいい。さすがの暴力教師も、 部員数十人に囲まれたら腕力に訴えることもできない。チームメイトへの暴力を止めることができたはずだ。
部活動は、仲間と一緒に苦労と喜びを分かち合うことにその本義があるのではないだろうか。ましてや、野球はチームスポーツである。 それにもかかわらず、仲間を助けようとしなかったことが本当に残念でならない。
一部では、優勝旗を返還すべきだという意見もあるようだが、部員たちへ外部から処分を課すことは反対である。ただし、 もちろん前述のように加害者である部長と現場責任者である監督、そして事実を隠蔽した学校側へは十分な追求が必要であることはいうまでもない。
私は今回のことに関して部員たち自身に、「何が起こってしまったのか」ということと「何をすべきだったか」、また 「これからどうすべきなのか」を考えてほしいと思う。 その結果として自分たちの責任もあるから優勝旗の返還をすべきだと考えるならそうすべきだろうし、 反対に自分たちにはやっぱり責任はないとするのなら、それもまたひとつの結論であろう。
まずは個人で考えてほしいのである。他からの処分を甘んじて受けるというのではなく、それぞれが考え、そのうえで皆で話し合い、 “駒大苫小牧野球部”としての結論を自分たちで出してほしい。その結論がどんなものであっても、「自分で考え、自分で結論づけた」 ことは必ずこれからの人生で役に立つはずである。
逆に、この件をうやむやのまま終えてしまったら、野球人生どころか人生そのものが悲惨なものとなるだろう。それは、はっきりと言える。
今回の件はたまたま甲子園優勝校が引き起こしたために大きな話題となったが、この種の問題はスポーツ界、 ましてや高校野球にかぎったことではけっしてない。事実、組織の階層性の弊害、上からの圧力、上の傲慢、罪の隠蔽、無責任、 保身から同僚を見捨てることなどは、官公庁をはじめとした公的機関や大企業で今まさに問題となっていることである。
駒大苫小牧だけが悪いのではなく、むしろ現在の日本における各種問題点のひとつが表出したにすぎない。今後、 各個人がおかしいものはおかしいと言える勇気を身につけ、自己責任の意識を高めること、より根本的なこととしては「自分で考え自分で行動する」 ようにすることができなければ、日本の未来はないといっていいだろう。
投稿者 KATANA : 15:33 | コメント (2) | トラックバック
2005年08月23日
F1、トルコGP総括
F1初開催のトルコ。予選から波乱含みでおもしろい展開になった。
予選では、8コーナーでヴィルヌーヴ、バトン、そして我らが佐藤琢磨がコースオフ。フリー走行から好調だったBAR勢にとっては、 痛いミスとなってしまった。
中でも、琢磨はこれが大やけどになりかねない。来シーズンのドライバーズ・シートの確保のために、 残り全GPでのポイントゲットがノルマに掲げられているだけに、いきなり崖っぷちに立たされた格好になってしまった。
ただ本戦は、今シーズンよく見られるいつも通りの展開。マクラーレン勢が逃げて、ルノーが追う。しかし、 ライコネンの速さは圧倒的だった。
かといって、本GPは見ていてつまらなかったということがなかったように思う。これも、ヘルマン・ ティルケ設計の新コースのおかげだろう。随所に見せ場があって、各ドライバーを悩ませた“魔の8コーナー”で最後にモントーヤまで捕まっていた。
それでも、マクラーレンが1、3位をゲット。ルノーのアロンソが棚ぼたの2位に入り、ドライバーズ・チャンピオンに半歩近づいた。
BAR勢は、予選順位からすれば大健闘。バトンは4位まで上がり、琢磨も9位まで追いあげた。ただし、 あと少しのところでポイントを獲得できなかったのはあまりにも痛い。
しかも、今回は99%本人の予選でのミスが原因だ。それだけに、周りの目はいっそう厳しくならざるをえない。日本のF1ファンとして、 もちろん琢磨にはBARに残留してほしい。しかし、ここまで結果がともなわないと、さすがに「運が悪い」というより「本人の力不足」 という印象が強まってきた。
なんとなくだが、琢磨は予選からもっとセーフティにいったほうがいいような気もする。スタートもそうだ。 マシンのポテンシャルは高いのに、最初の失敗でレースを台無しにしてしまっていることがあまりにも多すぎる。
次は、高速モンツァ。琢磨には、“焦らず確実に”走ってもらいたい。
投稿者 KATANA : 02:19 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月11日
やった、為末!――世界陸上
悪コンディションの中、日本のサムライ――心からそう呼びたい――為末大がやってくれた。
世界陸上・男子400mハードルで堂々の銅メダルである。
準決勝、先着順では通過することができない。祈るようにして後続の組を見守るなか、なんとかタイム順で拾われた。このときの、 為末がほっとしたような表情も忘れられない。
そして、迎えた決勝。激しい雨と風という、まるで熱帯のスコールのような環境のなかでも為末は慌てなかった。 スタートでフライイングがあり、仕切り直しになっても集中力が切れない。
いいスタートから、序盤はいつもどおり先行する。厳しい環境にあっても、為末のフォームは崩れていない。
そして、最後の100m。トップで入ったものの、課題としていわれていた終盤でのスタミナ切れがまだ克服できていなかったのか、 後続にどんどん詰められ、ついには抜かれてしまう。
しかし、為末はあきらめない。最後の最後まで必死にくらいつき、転倒覚悟のフィニッシュ。
息を切らせながらも、ディスプレイを見つめる為末。そして、歓喜のときが訪れた。
最後の最後、1レーンのカーロンをかわしての銅メダル! 喜び、涙をみせる為末が本当に印象的だった。
この4年間、周りが想像する以上に過酷だったのだと思う。不調、父の死、プロ転向、怪我……。それでも、 為末大はこのすべてを乗り越えて表彰台という快挙を達成した。称賛しても称賛しきれない。
私としても、感動の瞬間をテレビを介してとはいえ生で見ることができ、心から「夜遅くまで起きていた甲斐があった」と思ったものだ。 為末の涙、笑顔の両方のおかげで、久方ぶりに感動させてもらい、さらに勇気・元気を分けてもらった。
ただ人間の欲は深いもので、こうなると「さらにいい色のメダルを」と思ってしまう。為末本人もその気のようだから、2年後の“ホーム” 大阪大会がなんとも楽しみである。
そして、3年後の北京も――。







