
2006年10月12日
遅ればせながら、祝・ドラゴンズ優勝!
少し間が空いてしまったが、ドラゴンズがようやくセリーグの優勝を決めた。マジックが点灯してから約2ヶ月。よもや、ここまでずれ込むとは思いもしなかった。
それもこれもタイガースのせいだ(笑)。確かに8月の下旬以降、ドラゴンズの調子が下降したことはあったが、特別ひどかったというほどでもない。竜がコンスタントに勝っても虎がまったく負けないのだからどうしようもない。
M1で迎えた巨人戦も厳しかった。川上が先発したものの9回までに試合を決められず延長へ。それも12回1アウトまでいって、ようやくの勝利だった。
それだけにファンも選手も、そして監督も優勝の喜びはひとしおだ。正直、落合監督の涙にはびっくりさせられた。いつもクールでどこか不遜なところさえあった監督が、まさかまさか試合中に泣き出してしまうとは!
きっと、あれこそが落合監督の素顔なのだろう。情に厚く、涙もろい。周囲から叩かれることもあった監督がなぜ選手からは絶大な信頼を寄せられているのか、よくわかる気がした。
それにしても、自分の応援するチームの優勝がここまでうれしいものであることを再確認させてもらった。選手や関係者に感謝したい。
実は首位を独走していても、球場に空席が目立っていたドラゴンズ。優勝しても地元はあまり盛り上がらないのかとも思ったのだが、各地ですごいフィーバーを見せている。あちこちのスーパーやデパートで開催されている優勝記念セールも、主婦にはうれしいところだろう(笑)。
どうか、このままの勢いで日本シリーズへ行ってほしい。打線は絶好調、投手陣はちょっぴり不安はあるが、今のドラゴンズならパリーグのどこのチームが来ても相手ではないはずだ。53年ぶりの日本一、今度こそ期待したい。
投稿者 KATANA : 13:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月05日
ドラゴンズもタイガースも負けない
昨夜の広島戦、ドラゴンズは2点のリードを終盤に追いつかれるという嫌な流れながらも、最終回に代打・立浪の一振りで劇的な勝利をあげることができた。
やはり、ドラゴンズは強い。追う者より追われる者のほうがはるかにプレッシャーは大きいはずだが、それでも負けない。土壇場で力を発揮できるのが、真に強いチームの条件なのだろう。
ただ、それを追うタイガースも勝利を重ねている。8月の下旬から9月の半ばまではドラゴンズが停滞し、タイガースが猛追したため一気にゲーム差が縮まったが、最近10試合に絞って考えると、実はほとんど変わらなくなった。
はっきり言って、3ゲーム差あるということにプラスしてドラゴンズの側が6試合多く残っていることからして、やはり竜の優位は揺るがない。それでも一度は消えかかったセリーグの火がもう一度ここまで燃え盛ったのは、タイガースの頑張りのおかげだ。最後までファンを楽しませてほしいものである。
投稿者 KATANA : 12:34 | コメント (0) | トラックバック
真のプロとは
昨日のプロ野球、首位を走るドラゴンズはカープとの大事な試合を8-0で快勝したが、この中で気になることがあった。
終盤の9回に、8点差でリードしていながらワンポイント・リリーフを3人もつぎ込んだのだ。つまり、1投手で1アウトずつ取ったことになる。
これに対して、広島のブラウン監督ははっきりと不快感を示した。これは当然というものだ。
野球をあまりご存じない方はわからないかもしれないが、大量得点差で勝っている試合では余計なことをしないというのが暗黙の了解になっている。それが、対戦相手への礼儀だからだ。
たとえば攻撃ではもうバントをしない、守備ではリリーフ陣に“試し投げ”をさせるようなことはしない、などだ。
なぜそうしたことが必要かということは、負けている側の立場になってみればわかりやすい。大差をつけられた状態であれこれされては、やられたチームは「遊ばれている」と感じるのも無理はない。負けるほうが悪いといえばそれまでだが、やはり観ているほうも気分のいいものではないだろう。
ただその一方で、野球というスポーツは9回裏2アウト2ストライクまで追い込まれたとしても、まったく何が起こるかわからないものでもある。だから、どんなに点差が開こうとも堅実なプレイを続けるというのはある面では正しい。
しかし野球に限らず、スポーツというものは相手がいてこそ成立するものだ。だから、対戦相手への敬意をもつ必要がある。そうでなければ、スポーツが勝利目的だけのための荒んだ世界になってしまうだろう。
その点、落合監督はやや“やり過ぎ”の面があるような気がしてならない。点差が開いてもバントをし、継投をする。堅実といえば確かにそうなのだが、何か大切なものが抜け落ちてはいないだろうか。
勝ちに徹することはプロとして重要だ。しかし、プロとしての役割はけっしてそれだけではない。私は、プロスポーツの選手の役割として四つの重要な柱があると考える。
1. 質の高いプレイ(技術面)
当然、プロとしてひとつひとつのプレイのクオリティを高く保ち、さらに磨きをかけなければならない。これは当然のことだ。アマチュアより下手なプロに存在価値などない。
2. 勝利への執念(精神面)
プロであるからには、結果も重要視される。だから、勝負に徹してこそプロともいえる。
ただ、これはプロ選手に限ったことではない面もある。高校野球が毎年あれだけ盛り上がるのも、球児たちが必死だからだろう。この点、日本のプロ野球選手は見習わなければならないところもある。
このことが、大事なことを示唆してくれている。勝負にこだわることはプロだけでなくアマチュアでもできることなのだから、これだけをもってプロとしての役割を果たしているとはとても言えない。
そして失念され、軽視されてしまっているのが以下の二つの柱である。
3. 夢を与えること(社会面)
観ている人たちを感動させ、いくばくかの夢を与えることはプロスポーツに限らず、プロフェッショナルの世界では共通して重要なことだ。夢の感じられない世界にファンや選手が引き付けられるはずがない。
では、ひたすら勝負に徹して、ややもするとえげつないことまでするチームや選手に、ファンが、特に子供たちが感動するだろうか。答えは、Noと言わざるをえない。つまり、2を重視しすぎるとかえって弊害が大きいということだ。
このことに気付いていない人々が、現在はあまりにも多い。そして、より理解されていないのが次の4である。
4. 模範となること(社会面)
どんな世界でも、プロはその分野の頂点に位置している。だからある意味、みんながプロを見るのだ。彼らがいいことをすればアマチュアも見習うだろうし、悪いことをすれば同じように真似をしてしまうだろう。
つまり、プロはその分野の全体的な質を高めるために、その責任は重大なのである。よくも悪くもプロの世界は注目されているから、その関係者、特に子供たちに与える影響は大きいのである。
かつてJリーグでラフプレイが横行していた頃、アマチュアの世界でも同じ傾向が出てしまった。そして現在、プロの選手があまりも審判に抗議をするから、以前はほとんど見られなかったアマチュアでの同様のことが頻発してしまっている。そういった最悪の事例を防ぐためにも、プロは常に周囲の模範となることを意識しなければならない。
その点プロ野球界も、二段モーションを禁止したことは評価に値する。これは国際基準に合わせるという目的もあるが、それ以上に子供たちがいたずらに真似をしないようにするためにも有効だ。日本のプロ選手の真似をしていたら、世界の舞台でボークを取られてしまったというのでは、努力を続ける子供たちがあまりにも浮かばれない。
プロ選手は、確かに高度なテクニックと勝利という結果が重視される。しかし、それがすべてではないのである。勝てばいい、うまいプレイをすればそれでいいというのは、むしろアマチュア的な思考といえるだろう。
現在の日本のプロ野球界はどうだろうか。私自身は、勝利至上主義のやり方がドラゴンズ以外にも蔓延し、プロとしての重要な要素がいくつか欠落している現状に危険なものを感じてならないのだが。
投稿者 KATANA : 03:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月28日
日本のいびつなドラフト制度(2)
2. 希望獲得枠のおかしさ
1の観点からすれば、まさにおかしいと言えるのが希望獲得枠の存在だ。欲しい選手、しかもドラフト1位に値する優秀な選手を確実に入団させられるというなら、そもそもドラフトの意義じたいが薄らいでしまう。結果、人気球団にいい選手が集まるようになり、戦力の均衡が実現できるはずもない。
しかも、別の観点からも問題があると言わざるをえないだろう。それは、選手間の公平性についてだ。ドラフト1位候補の選手にだけ球団を任意に選べる権利を与え、ほかの選手には指名を受けた球団へ強制的に入らせるというのでは、あまりにも不公平だ。
もちろん、スポーツの世界というのはある意味、実力主義の世界ではある。だから、アマチュア時代にがんばった選手に対して“特権”を与えることを是とする考え方もある。だが、そうした実力主義はやはりスポーツの面に留めておくべきであって、選手の基本的な権利の面にまで及ぼすべきではない。
単純に試合をするだけならともかく、選手たちにはこれからの生活がかかっている。それは言い換えれば、人生を賭けているということだ。一般の企業の社員がキャリアや仕事の成果によって報酬に差をつけられることはあっても、基本的な人権を阻害されるがないように、プロ野球の世界でもおかしなところで差をつけることはやめるべきだろう。
3. 抽選という方式
また、倫理的におかしいといえば、複数球団による同一選手への指名が重なった際のくじ引きのことも挙げられる。ウェーバー制でやらないことによる弊害のひとつともいえるが、2で示したことと同じくこれではただの運任せであって、本来の目的である戦力の均衡がはかれるはずもない。
そしてより根本的な問題としては、若者の将来を博打的な方法で決めることが、はたして倫理面から許されるのかどうかということだ。言うまでもなく、人生には博打的な要素がいくらでもある。しかし他者が、しかも強制的にある人物の将来をゲームのような方法で決めようとすることは、やはり認められないと言わざるを得ない。
4. 分離ドラフト
最近導入されたプロ野球のシステムの中で最も意味不明なのがこれだ。あえて好意的に見るなら、高校生に早めに進路を決めさせて、これからのことを考える余裕を与えてあげる目的があるとも考えられる。
しかしそれならば、初めから大学生・社会人も含めて時期を前倒しすればいいだけの話であって、高校生だけを分離する必然性などどこにもない。高校生よりも上の世代したところで、早めに決めてくれるに越したことはないのだから。
結局、これは一部の発言力の強い球団が有望な高校生とそれ以上の選手を“両取り”したいという思惑から、ごり押しして誕生させたかなりいびつなシステムなのである。
まったくもって現在の球界を象徴しているともいえるが、いつまでもこんなことを続けていたら、ファンが離れていってしまい、プロ野球が持たなくなる。一般の人々は、球界の不透明な体質に辟易している。そのことに対して、関係者は自覚があるのだろうか(ないような気がするが)。
5. まとめ
ひとつはっきりと言えるのは、現在の日本のドラフト制度がひどく中途半端なものであるということだ。戦力の均衡もできなければ、「職業選択の自由」という選手の基本的人権も守られていない。「バランスを取っている」などという言い訳では誰も納得しないはずだ。
大事なのは、他のシステムとの連携だろう。選手にはリーグ全体の活性化のために、彼らが本来もつべき権利の一部を我慢してもらっている。だからこそFAという制度は必須なのだが、こちらも取得までの期間が長すぎたり、条件が厳しすぎるなど不完全なままである。
ドラフトとFAは繋がっている。つまり、どちらか一方だけでなく両方の改革が必要だと言うことができる。
しかしここまで見たきたように、ドラフト制度の異常さは現在の球界の異常さを物語っている。おそらく、内部からの改革は難しいだろう。外部からの介入を待つしかないのかもしれないが、どんな優れた人物がやってきたとしても周りが足を引っぱり続ければ、何もかもうまくいかない。
いずれにせよ、ドラフトは契約金の高騰を抑えるという金銭的な面での必要性もあるが、そんなこと以上に戦力を均衡させることによってリーグを支える基礎となるべきものなのだ。それがしっかりしないことには、他の面でいくら修繕を重ねたところでいつかは全体が瓦解してしまうだろう。そうなる前になんとかしてほしいのだが、はたして。
投稿者 KATANA : 16:24 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月22日
日本のいびつなドラフト制度(1)
以前からずっと言われ続けている日本のプロ野球におけるドラフト改革。先日も選手会側が野球機構に対していろいろと要望を出したが、とにかく日本のそれにはおかしな面が多い。それらをポイントごとに見ていきたい。
1. 戦力の均衡という目的が果たされていない
そもそも、ドラフト制度の存在意義はチーム間の戦力格差の是正にある。特定の球団に戦力が集中してしまうと、同じチームばかりが勝ち続けることになり、引いてはリーグ全体が面白みのないものなってしまう危険性がある。
一方、勝てない不人気チームのほうは経営が苦しくなり、場合によっては身売りや球団そのものの解散を考えなければならなくなるだろう。こうなった場合も、もちろんリーグ全体にとって大きな不利益となる。
当たり前だが、野球は相手が存在してこそ成り立つスポーツだ。つまり“一人勝ち”の状況が続けば、最終的には誰にとってもデメリットしか存在しなくなってしまう。最悪、かつての大阪近鉄バファローズのような球団が続出すれば、リーグ自体の存続が危ぶまれることにもなりかねない。
チーム間戦力の均衡という目的を達するためならば、本来は完全ウェーバー制でやって当たり前なのだ。それをやらず、同じ選手を指名した場合はくじ引きで決めるなどという中途半端なやり方では、いつまで経っても格差は是正されない。
(つづく)
投稿者 KATANA : 14:06 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月23日
ピッチャーの負担を考えて
盛り上がった夏の高校野球も昨日で終わりを告げたわけだが、個人的に気になることがあった。
それは、相変わらずピッチャーへの負担が大きすぎることだ。早稲田実業の斉藤投手は確かに素晴らしいピッチングをしたが、約2週間で7試合に登板、そのうち69イニングのほとんどを一人で投げきり、しかも直近の4試合では4日連続の完投。さらに、そのうち1試合が延長15回までいったのだから、こんなのは常識的に考えて有り得ない。
何が有り得ないかというと、一人の投手をそこまで酷使したことだ。斉藤くんのがんばりは凄い。そのことは素直に賞賛したいが、それだけの過度の負担をおわせてしまったことは本来ならば大問題だ。
アメリカでは、若い選手には決して無理をさせない。否、させてはいけないというコンセンサスがあるのだ。そのため、以前から球数制限が導入されており、ルールとして投手の負担を軽減しようとしている。
だが日本の野球、特に高校野球では当たり前のようにピッチャーに連投させる。もし投手が肩や肘を壊してしまったら、アメリカでは監督が周囲から猛批判を受けて責任を取らされるが、日本ではそういったことをしでかした監督でも平然と指揮をつづけている。
ならば、監督にすべての責任があるのだろうか。私はそうとも思わない。確かに現場の責任者としての問題はあるが、日本では投手に無理をさせることが当たり前になっている状況では、彼らにだけ責任を負わせるのは酷というものだろう。
だから海外を見習って、投球制限を設けるといった“ルールとしての歯止め”をつくったほうがいい。つまりピッチャーの負担の問題は、各監督だけでなく未だに腰の重い高野連の側にも原因があるということだ。
そして、われわれ一般のファンやマスコミにもその一端はある。すばらしい試合、すばらしい感動を求めるばかりで、ほとんどの人が選手の負担のことなど考えない。呆れたことに、専門家であるスポーツ記者たちでさえそのことを指摘する場合はきわめて少ないくらいである。
要は、日本全体が高校野球の異常性に気づいていないということだ。長い歴史の中で慣れてしまったのか、それとも別の理由があるのかはわからないが、監督・高野連を含めてすべてがこの問題に関してはどこか狂っていて、本質を見ることができていない気がする。
ただ、現実に投球制限などを設けると、選手層の薄いチームほど不利になるといったデメリットもある。しかし、野球は控えメンバーを含めてのチームスポーツであり、層が厚くできなかったのならば、それも含めてチームとしての力だとする考え方もある。
もちろん、選手たちは無理をしてでも投げたいと思うだろう。それが、優勝がかかった大事な試合ならばなおさらだ。しかし、そういったときに無茶をさせないように止めてあげるのが、われわれ大人の側の役割ではないだろうか。アマチュア、ましてや若い世代においては、結果は必ずしも重要ではないのだから。
仮に投球制限が難しい場合でも、スケジュールについては早急に改善したほうがいい。1試合だけでなく、日程が詰まっているゆえのピッチャーの酷使の問題もある。特に、大会終盤の連続試合は異常だ。プロでもきつい日程を高校生に課してどうするのか。
球場の確保など、いろいろと難しい面があることはわかる。しかし、選手たちの将来のことを考えるなら、絶対にどうにかしなければならないことだ。
ともかく、投球制限(投球数、試合数)かスケジュール改定のどちらかだけでも必ず実施すべきだ。斉藤くんや田中くんのような素晴らしいピッチャーが、甲子園のために潰れてしまってからでは遅い。高野連と各校の責任者には、迅速な対応を期待したい。
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other...
投稿者 KATANA : 09:50 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月21日
勝ち負けを超えた感動
夏の甲子園の決勝は、これまた内容の濃い戦いの末に早稲田実業が見事に制した。試合は個人的には意外だった。どう考えても早実のエース斉藤のほうが疲れがたまっているから厳しいと思っていたのだが、逆に前の試合と同等かそれ以上に調子はいいように見えた。
一方の駒大苫小牧の田中は、斉藤よりトータルの投球イニングも球数も少なかったにもかかわらず、疲れがかなり出てしまっていた。そのせいか全体的に球が高く、ストレートの威力もいまひとつだった。
早実のほうはそれでも攻めあぐねていたが、序盤に点を奪ったことと少ないチャンスを確実にものにしたがの光った。6安打で4得点というのは見事という他ない。
けっきょく、初回の攻防が試合の流れを決めた。駒大苫小牧の粘りはすごかったが、先手をとった早実に分があったように思う。
ただ、この試合は勝ち負けがそれほど意味のないものだ。それを超えた素晴らしい感動を与えてくれた両校の選手に感謝したい。勝負事は結果がすべてだと言う人もいるが、けっしてそうとは限らないことを示してくれた試合だったのではないだろうか。
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/15863/
投稿者 KATANA : 20:08 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月20日
すげえ試合だった
高校野球の今大会は1回戦から白熱した試合が非常に多かったが、決勝戦はそれを象徴するように非常にすばらしい戦いだった。内容は予想どおりの投手戦。ただ、個人的には両エースともに疲れがあるからそれなりに点が入ると思っていたのだが、その予想はいい意味で裏切られた。
終盤に、これまた両チームともに劇的な形で点を取り合い、延長戦へ。なんとなくこの時点で引き分け再試合になりそうな予感はあったが、延長での攻防も面白く、久しぶりに見ているだけで緊張するようなゲームを味わうことができた。
それにしても、両チームはさすがと言うべきかミスが少ない。これが、苦しみながらも決勝戦まで勝ち進んできた最大の要因だったのだろう。
早稲田実業のエース斉藤も、駒大苫小牧のエース田中もとにかくすごい。この試合までの疲労がありながら、延長15回の最後までまったく崩れないのだから脱帽するしかない。
ただ、やはり投手の体への負担が心配だ。どうしても勝ちたいという気持ちはわかるが、監督さんには選手の体を第一に考えてもらいたい。
今日、再試合となったことでまた明日好勝負を見れることになった。こちらに感動を与えてくれている選手たちに感謝したい。
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/15744/
投稿者 KATANA : 18:28 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月15日
今夏の甲子園はおもしろい
今年の夏の甲子園は見ていて楽しめる試合が多い。なぜだろうか。接戦や逆転のゲームが多いせいだが、どうも各チームの力が拮抗しているためらしい。今年は昨年の平田・辻内のようなスーパーな選手がおらず、さらに優勝候補の横浜や大阪桐蔭が早々と甲子園を去ってしまったように、ずば抜けて強いといえるチームはいない。事実、今大会はどうも各チームで攻守両面でのミスが目立っている。
ただ、結果として最後までわからない面白い試合が増えている。なんとなくだが、今大会は意外なチームが初優勝を遂げそうな気がする。
# 率直に言えば、駒大苫小牧の関係者やファンには悪いが、問題ばかり起こしている同校にはあまり勝ってほしくない……。強いけどね(^^;
【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/15102/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/15031/
投稿者 KATANA : 16:45 | コメント (0) | トラックバック
2006年08月10日
高校球児らしさとは?
1回戦も今日で終わり、甲子園が盛り上がっている。どうも、今大会は試合の質も高いようだ。その点、試合を見ていて飽きないのだが、どうしてもプレイとは関係のない面でいくつか気になることがある。その最たるものが、選手たちの“画一性”だ。
ほとんどのチームの選手が丸刈りで、似たようなユニフォームばかり。プレイもバントなど堅実なものが多いなど、どうにも個性を感じにくい。
これは選手たちの責任なのだろうか。いや、そうではないだろう。たとえば高校野球の場合、ユニフォームだけではなくバッティンググラブの色やヘアスタイルにまで注文をつけている。「華美」なものは駄目で、とにかく“高校生らしく”ということらしい。
しかしこうした高校生らしさとは、いったい誰にとってのものなのだろうか。球児たち自身ではないことは明白だ。誰だって、あれこれと制限されたくはない。しかも、それが納得しかねるものであるならなおさらである。
結局、こういった高校生らしさという概念は、高野連を取り仕切るお年寄り連中の古い考え方でしかない。いわば、彼らにとって理想の高校球児のイメージを今の選手たちに押し付けていると言い換えてもいい。
これは、形をもたない一種の暴力である。価値観は人それぞれであり、それを押し付けることは一面では物理的な暴力以上にひどいことかもしれない。
時代は常に移ろいゆく。今の高野連の幹部が若かった頃と現在とでは、当然ながら状況がまるで異なる。それにもかかわらず、過去の価値観を現代をまさに生きる若者たちに押し付けることがはたして許されるのだろうか。
球児自身よりもむしろ、枠にはまった子供たちを見て悦に入る中年連中の姿に薄ら寒いものを感じてならない。
投稿者 KATANA : 11:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年05月01日
新庄の“襟付きシャツ”が波紋
新庄が“襟付き”のアンダーシャツを着て試合に出たそうだ。
周囲の関係者の意見は、ややネガティブなものらしい。しかし、私は別にそれくらいいいじゃないかと思う。
明らかに別のユニフォームを着るのではユニフォームの意味がないから当然ダメだとしても、アンダーシャツの形がちょっと違うくらいはたいした問題ではないだろう。
実際、ネックウォーマー・タイプのものがあったり、中には野球用のアンダーシャツではなく普通のTシャツ・タイプのものを着ている選手もいるくらいだから、「襟が付いている」だけでは禁止する根拠に乏しい。
確かに新庄がやりすぎの面もあるものの、球界だけでなく日本社会は細かい規則(制約)をつくりすぎるのだ。そもそも規則は社会組織を健全に運営するためにあるのだが、その目的が消えて規則そのものを自明視してしまうケースが本当に多いように思う。
典型例はプロ野球よりも、むしろ高校野球だ。バッティンググローブの色やヘアスタイルまで、事細かに規定しようとしている。
怖いのは「人のために規則がある」のではなく、「規則のために人がある」という状態に陥ってしまうことだ。これでは当然のことながら弊害が大きい。
だから選手の個性を伸ばし、プロ野球をより魅力のあるものにするためにも、細かい部分へのどうでもいいような制約などないほうがいいと思うのだが、どうだろうか。
投稿者 KATANA : 11:01 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月20日
新庄、引退へ
新庄もついに引退か……。
突然の報告には正直かなり驚かされたが、彼らしいといえばらしい。
結果的にその引退宣言をすることになった試合で2アーチ、しかも内1本は満塁弾とはこれ以上ないド派手なパフォーマンスだ。さらに、次の試合で注目のなか3ランも放っている。2試合で8打点。すごすぎる。
それにしても、今の新庄からは覚悟を決めた人間の“凄味”を強烈に感じる。人間の精神のパワーはすさまじいのだと、まざまざと見せつけられた思いだ。
個人的に、新庄はどちらかというとプレイよりもそれ以外の部分で目立つという「選手らしくない選手」というイメージだったが、やっぱり彼はアスリートとしても一流だった。
そして、感心させられたのが引き際のよさだ。ファイターズを北海道に根付かせることができ、自分の役割は終わった、と――。人間、なかなか自身の役割の終焉を見極められるものではない。それまで一生を捧げてきたことならばなおさらだ。
それと同時に、常に若手のことを気づかっていたもすばらしいと思う。要するに、調子の悪い自分が若手の出場機会を奪ってしまうことに悩んでいたという。ただの目立ちたがり屋が、これだけのことをできるはずがない。
周りが言うようにまだまだやれる気もするものの、気がつけば彼も34歳。寂しい部分もあるけれど、そろそろ潮時なのかもしれない。
ただ新庄のことだから、日本のスポーツ界では珍しい引退撤回や、引退後の復帰もありえそうな予感もあるので、これからもいろいろと楽しみだ。
投稿者 KATANA : 16:47 | コメント (0) | トラックバック
2006年04月14日
ドラゴンズ、虎に2連勝
またしてもドラゴンズが劇的勝利!(ワハハッ)
タイガースのオクスプリングが予想以上によかったから一時はどうなるかと思ったが、福留の2ランとアレックスのソロであっさり先制。
ただ、その後がいけない。川上が2アウトからつかまって2失点、さらに満塁のピンチでライトの上田がまさかのエラー……。好調のオクスプリングにかえての代打というタイガースベンチの“博打”が結果的に当たってしまっただけに、流れは完全に変わってしまったかに思われた。
しかし川上は気落ちせずに、きちんと自分の役割を果たしていく。
そして、福留の2ランで追いつく。ここ4戦で4発。すごすぎる!
その後も決勝点・追加点を着実に奪って、終わってみれば9得点の快勝。主力の荒木とウッズが絶不調の中でこれだけの試合ができたことは大きい。
リリーフ陣の調子も上がってきたし、これからに期待大だ。








