2006年12月26日
厚生労働省が導入しようとしている「ホワイトカラー・エグゼンプション」という制度は非常に微妙なところがある。
要は、ホワイトカラー(事務管理職)の労働時間制限を撤廃してフレキシブルな成果の評価制度を打ち立てようというのがその骨子だが、どうにもきな臭さが残る。
そもそも労働形態が多様化しているのだから、一律に単位時間当たりで評価するのはおかしいという意見はわかる。しかし、本当にこの制度で労使ともにプラスとなる変革ができるのだろうか。
時間単位で評価されないということは、ある意味“結果がすべて”になるともいえる。つまり、結果が伴わなければ通常では残業代が出るくらい長時間身を粉にして働いたとしても、たいした報酬は得られなくなってしまうということだ。労働者側にとっては、メリットとデメリットがかなりはっきりしている。今まで頑張ってきたホワイトカラーが、では本当に給料が上がるかどうかは微妙だ。
では、雇用者側はどうだろうか。メリットはあるだろう。とりあえず規定時間内だけ仕事をすればいいというやる気のない社員と活発な社員を選別できる。しかも、長時間労働を強いたとしても、結果の好悪を理由に報酬を抑えることも可能だ。
一方のデメリットは……というと実は見えてこない。雇用者にとっては、メリットの多いシステムなわけだ。
つまりこのホワイトカラー・エグゼンプションとは、労働者側がリスクを負うシステムであるといえる。
確かに、労働関連法も時代に応じて変えていくことは必要だ。しかし、昨今の企業による“人材の使い捨て”や、労働者のうつ病などの問題を見ると、やはり危険なものを感じてならない。
事実、経団連が同制度の適用基準を「年収400万円以上」というかなり低い水準に設定しようとしていることからも、どうにかして賃金を圧縮してやろうという企業側の底の浅い意図がすけて見えているような気がする。
私自身、管理職が“使い減らし”の状態になってしまうことを、比較的身近なところで経験してきた。米国では現在、ファーストフード店の副店長クラスまで適用対象となっているという。過労で倒れて入院した知人は、某有名ラーメンチェーン店の店長を任されていた。
労働関連法が日本お得意の骨抜き制度にならないように(すでになっているという意見もあるが)、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入するにしても慎重にやる必要があるだろう。
# だいたい、残業代払ってない企業が多い(社員の任意だとか言って)。そんな状況では、この制度も非合法を合法に変えようとする虚しい行為なのかもしれない。
投稿者 KATANA : 17:50 | コメント (0) | トラックバック
2006年03月30日
電気用品安全法(PSE法)で、中古品の売買を経産省が事実上容認したことで、反対派の中にはほっとしたような雰囲気がある。
そもそもこの問題はアナリストの小寺氏が指摘しているように、PSEマークのない中古品の売買を表向きは認めないが、実質的には黙認するというあいまいさが根因だったように思う。
これまでの日本なら、そうした「本音と立て前の使い分け」が通用しただろうが、今はもう状況が違う。特に経済界では欧米的な厳密さが求められるようになって、万が一の法的リスクを考えざるをえなくなっている。
その点、経産省側の見込みが甘かったといっていいだろう。旧態依然とした日本的な慣行にとらわれたままで、現実が見えていなかった。だから、いざ法施行が近づいてきた段階になって、問題がわき起こることになってしまったのだ。
そもそも、中古販売業の「現場」をきちんと把握していれば、こういった問題が起こることは十分に予測できたはずだ。結局PSE問題は、まさしく官僚的な現場を知ろうとしない傲慢な態度が招いた結果だともいえる。
だから、今回は経産省がやり玉にあげられているが、おそらく実質は他の官公庁でも同じだと思われる。ということは官僚の側が態度を改めないかぎり、他の分野でも似たようなことはこれからも起こり、場合によっては増えていくだろう。
ただ、実際のところはPSE問題はまだ終わっていない。要するに今回の「事実上容認」とやらも、またしても日本官僚的なあいまいさを利用して問題をうやむやにしてしまおうという底の浅い意図が透けて見えている。
全然、根本的な解決になっていない。PSE問題もまだまだ波乱がありそうだ。
投稿者 KATANA : 11:55 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月05日
ネットで大騒ぎになったのまネコ問題といい、産業廃棄物の不法投棄といい、最近は企業の不祥事があまりにも多い。今ではそういったことが当たり前になりすぎて、“モラル・ハザード”という言葉じたいが使われなくなっている。
どうして、こうなってしまうのか。これは誰もが気付いているとおり、利益を優先する意識から起こる。JR西日本による列車事故なども、「儲けが出るなら多少の無理はしてもいい」という考えが温床となっていたであろうことは疑いない。
利益という表面的なことにこだわるから、中身の質が低下していく。これは、あらゆることにいえることだ。
昨今、マスコミの誤報や過剰演出が問題なることが多いが、けっきょく「中身はなんでもいいから視聴率さえ取って儲けられればいい」という安易で危険な考えにとらわれているのが原因である。だから結果として“強者になびく”という、中立をもって正道とする報道機関としてはあるまじき方向に進んでしまうことになる。
となると、利益の継続的な追求を至上命題としている資本主義じたいに欠陥があるということだ。今は資本主義、自由主義経済が当然視されているものの、実は問題点だらけのシステムなのである。
ただ、部分的には改革が少しずつ進みつつあることも事実。エイベックスは松浦氏が社長に就任してからはよくなる傾向が見られるし、放送局は質の高い番組を讃える賞をつくったりしている。
それでも「のまネコ」問題で明らかになったように、そういったことが末端まで行き届くには時間がかかりそうだ。



