2007年02月22日

著作権は生命保険ではない

 相変わらず、著作権関連のことがらが迷走を極めている。特に最近気になっているのは、著作権保護期間の延長問題だ。

 延長といっても、実は著作者の“死後”についてものだったりする。今でも50年も保護されているのだが、一部の著作権者がさらに20年延長しようというのである。

 つまり、ある人物がある作品をつくり、その彼・彼女が50年後に死んだとすると、総計120年間も著作権が継続することになる。はたして、これが社会的に見て正常なことだと言えるのだろうか。

 そもそも、作者の死後まで保護期間が続くというのが理解できない。賛成派は、著作者の遺族の保護のためだというが、それさえも根本的なところで首を傾げたくなる。

 なぜかといえば、著作権は「文化の発展に寄与すること」が目的なのであって、著作者・著作権者の保護ならまだしも、それとは間接的にしかかかわらない存在にまで適用範囲を広げることは、けっきょく著作権の本来の意義から離れすぎてしまうためだ。

 著作権は生命保険ではない。そんなに自分の死後の家族が心配ならば、存命中に素直に生命保険に入ればいいではないかと思うのだが、賛成派はなんと答えるだろう。

投稿者 KATANA : 13:48 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月26日

著作物を翻訳すること

 ブログでは、他人の作品(つまり著作物)を紹介することが意外に多い。文章から始まり、画像、アプリケーションなど、そういったものの記事を取り扱うことをメインにしたサイトも存在するくらいだ。

 そのため、以前からブログと著作物の関係は切っても切れないものになっている。特に最近問題になっているのは、著作権侵害にかかわる事柄だろう。

 著作権に関してはいろいろなことが絡んでいて一概には言えないのだが、今回は中でも外国語で著された文章の翻訳について触れてみたい。

 近頃、個人的に気になっているのは、海外サイトのニュース記事を日本語訳したものを掲載するブログが増えていることだ。これは読む側にとってはありがたいことで、かく言う自分も恩恵にあずかっている部分もある。

 ただし実際のところ、著作権の面からはかなりまずい。なぜかというと、著作権の中には翻訳権というものがあるからだ。そのため、他人の著作物を勝手に翻訳して発表することは許されない。

 その点、人気サイトを回っていると、意外にも丸ごと海外のニュース記事を翻訳して掲載しているケースが散見される。ひどい場合になると、そのニュースのソースをまったく記していない場合さえあるほどだ。

 これは著作権者の許可を得ていないかぎり、明確にその侵害行為に相当する。はたしてサイトの運営者の方々は、このことに気付いているのだろうか?

 とはいえ、私的な限られた範囲での利用や教育目的の場合、そして正当な引用に該当すると考えられるときはこの限りではない。ただし残念ながら、誰でも閲覧することができるブログに掲載している時点で私的使用とはとても言えず、ましてや記事を丸々載せるのでは正当な引用の要件を満たすはずもない。

 先述のとおり、私自身、海外記事を翻訳してくれるのはありがたいと思う面もあり、またニーズがあるにもかかわらず日本語に対応しないニュースサイトの問題もあるだろう。

 しかし、著作権侵害であることに変わりはないのだ。最近のブログの運営者はどうも確信犯的にやっているというよりも、そのことを知らずに“なんとくなく”やってしまっている場合が多いように思われる(要は、ネットリテラシーが低い初心者が増えているということだ)。

 後で思わぬしっぺ返しをくらわないためにも、上記のことをわきまえておくひつようがあるのではないだろうか。

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2006年09月05日

サザエボンと著作権
サザエさん (1) 天才バカボン (1)

 先日『サザエさん』を見ていたら、ふと「昔、“サザエボン”っていうキャラがいたな~」と思い出した。

 知らない人にとっては、なんだそりゃというこの代物。呼んで字のごとく、人気キャラクターのサザエさんとバカボンのパパを合成したものだ。

 リンク先の画像を見てもらえばわかるが、まあ、なんと表現したものか……(苦笑)。

 このサザエボンを私が最初に知ったのは、十年ほど前にTBSの朝の番組で取り扱っていたのを見たからだった。Wikipediaによると1996年ごろに登場したとあるから、自分の記憶は間違っていなかったらしい。

 その後、すっかり自分も忘れていたのだが、実はいろいろあったようだ。

 サザエボンは本来、大阪の十三(じゅうぞう)に出没する“TOY魔人”という謎の人物が、すべて手作りで少量販売していたものだ(前述のTBSの番組に出ていたのも当人だった)。

 たぶん本人は洒落でつくっていたのだろうが、一部でマニアックな人気を呼んでいたサザエボンをタイセイという企業が量産化を始めてしまった。

 これは大問題だ。まず、原作の著作権者の許可をとっていないこと。それはもちろんオリジナルをつくったTOY魔人も同じなのだが、手作りで少し売っているだけということで著作権者も大目に見ていたのだろう。事実、赤塚不二夫は「最初、見たときは面白いと思った」そうで、「100個、200個作っているだけなら」黙認するつもりだったというニュアンスの発言をしている。

 それが、企業が営利目的で始めてしまっては、いくらなんでも限度を超えているだろう。その後、長谷川町子美術館や赤塚不二夫らが訴訟を起こしたのは当然のことだ。

 ただ、問題はサザエさんとバカボンの著作権者は確かに彼らだが、『サザエボン』の著作権者はTOY魔人だとうこと。こういう場合、別の著作物を元にしているから二次的著作物と呼ばれるが、確かにTOY魔人にも著作権は発生する。

 だからタイセイは、サザエさんとバカボンの著作権者だけでなく、TOY魔人からも本来は許可を得なければならなかったのだ。

 それなのにまったく無断でアイデアを盗用し、営利活動を始めるとはタイセイに弁解の余地はない。実際、訴訟に敗れ、販売禁止命令を出された。

 ちなみに、TOY魔人のほうは今でも販売を続けているらしく、けっきょく元の鞘に納まった感じだ。

 ただ一部の情報によると、TOY魔人でさえ他の人のアイデアを元に作ったともいわれている(Wikipediaには、タレントの松本人志が最初に言ったと書かれている)。実は、元の考案者もあいまいなままのようだ。

 このサザエボンの事例は、著作権を考えるうえで興味深い二つのポイントを提供してくれている。ひとつは、二次的著作物の権利について。そしてもうひとつは、原作者によるそれの黙認についてだ。

 TOY魔人の場合も、厳密には確かに著作権侵害に相当する。よくマンガの同人誌やフィギュアでも同様のことが問題になるが、現実には原作者の側が黙認する場合も多い。

 なぜなら、それらはファンが楽しみでやっていることだからだ。それに、そうしたものが結果的に原作のプロモーションにつながることも多い。

 さらに、まったく派生物が生まれないというのも、作者としても寂しさを感じるものだ。だから、洒落でやっているTOY魔人のような場合は黙認してあげてもいいのではないかと思うのだが、どうだろうか。

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2006年07月30日

「海賊版被害額」の誤謬 (5/5)

総括

 ここまでは海賊版によって権利者に被害が出ていることは間違いない、 しかしその実態はわからないというスタンスで論じてきた。だが、必ずしもそうではないのである。 複製品が出回ることでメリットも存在することは間違いないのだ。

 たとえば、宣伝効果が上げられる。無料で、ある著作物を入手したユーザーは、 それによって作品やその制作者を知ることができる。しかも権利者の側からすれば、宣伝費は一切かかっていないのである。 違法な複製による被害をあえて無視すれば、これほど効率的なプロモーションは他にないだろう。

 また、こうした場合、複製品の輸送・送信にかかる費用はユーザーが負担していることを考えれば、 後で料金を徴収する仕組みさえ生み出せば、ほとんどコストがかからないにもかかわらず利益を上げられるという、 権利者からすればたまらないシステムを生み出すことも可能性としてはあるのだ。

 もちろん、だからといって違法な複製行為を正当化できるものではないし、 違法行為はどんな理由があれ違法でしかない。その点、他者の権利を侵害する行為をしているユーザーに弁明の余地はない。

 ただし、上記のとおりモノと情報とでは被害の性質がまるで違う。よって、 一般の人々が著作権侵害を気軽にやってしまうのも無理はない面もある。知的財産を守るという意識がモラルとして定着していない以上、 罪の意識が希薄なのはむしろ必然である。

 この10年、インターネットが極めて急速に普及し、短期間のうちに状況が一変していったこともあり、 権利者の側もユーザーの側も古い考え方を改めることがまるで追いついていない。そういった面では、権利者が行き過ぎた行為をしたり、 ユーザーが気軽に侵害行為をしてしまうのも仕方がないといえる。だから、今われわれに求めてられているのは、状況を冷静に見つめ、 それに慎重かつ的確に対応していくことなのだろう。

 現在は時代の転換期である。それだけに、社会の舵取りを成功させるか失敗させるかによって、 今後数十年に大きな影響を与えることは間違いない。次代の担う人々に余計な負担を課さないように、今を生きるわれわれが頑張らなければならない。

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2006年07月29日

「海賊版被害額」の誤謬 (4/5)

誤謬による弊害

 さて、ここまでは「海賊版被害額」の誤謬について見てきたが、では、 実際にそれによってどういったことが引き起こされてしまうのだろうか。

 上記のとおり、訴訟において実態にそぐわない賠償金が課されるというのもひとつの問題である。そして、「海賊版被害額」に惑わされて、 必要以上に権利者に有利な法や制度やつくられてしまうのも問題だろう。それによって、 一般の利用者の側にとってデメリットが大きくなりつつあることは間違いない。

 しかし、実は権利者の側にとっても大きな落とし穴がある。それは、いたずらに被害者意識が強まってしまうことだ。たとえば、次のA・ B二つのパターンを考えてみよう。

A:「あなたの作品の海賊版が、100回もやり取りされました。被害額は1,000万円です」

B:「あなたの作品の海賊版が、100回もやり取りされました。しかし、被害額の実態はよくわかりません」

 もしAのように言われたら、額が額だけに驚き戸惑ってしまう人が多いだろう。反対にBのように言われたら、 問題だとは思いつつも冷静に受け止められる。

 これが10億・100億の被害だとでも喧伝したら、誰だって慌てふためく。つまり、 実態以上に被害が出ていると勘違いして、それによって過激な行動に出てしまうのである。

 その結果が音楽業界による顧客の提訴であったり、 呆れるほどに強固な著作権保護であったりするのだろう。こうした知的財産の問題にかぎらず、 被害者意識が強くなりすぎると恐怖心から過剰防衛するようになり、それはひるがえって他者への攻撃に転化することが多い。

 いわば、現在の知的財産関連の世界、特に音楽業界は実態以上にふくらんだ海賊版被害額に惑わされ、 一種の恐慌状態にあるといっていい。そのため、第三者が冷静な指摘をしてもまったく聞き入れることができず、 反対に常軌を逸した行為に打って出ることがあるのだ。

 その一方では、防衛のために法制度によって強固に保護されるために活動をする。その結果は、 複雑かつ硬直的になりすぎたそれらによって、利用者(消費者)だけでなく権利者の側まで法という名の鎖でがんじがらめにされてしまうのである。 権利者のために制定したはずの項目が、かえって彼らやクリエイターにデメリットを及ぼしてしまう理由の一端はここにある。

 何事も、現実からかけ離れたことを信じ込むとろくなことにならない。それは、政治しかり知的財産問題しかりである。 権利者の側のためにも、より正確に実態を把握する必要があるだろう。

(次回につづく)

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2006年07月28日

「海賊版被害額」の誤謬 (3/5)

「被害」の差異

 本論では最初に、被害額の算定という面から情報財と物的な財との違いについて指摘した。しかし、 さらに深いところで情報財特有の難しい要素があるのだ。

 海賊版被害額を無理に算出するのならば、確かに一商品あたりの単価ではなく純益を基準にするべきではある。しかし、 そもそも情報財が複製されたとしても、それが本当に被害だといえるのかどうかは難しい問題である。

 ここにガソリンがあるとしよう。それが盗まれて使われてしまったとしたら後には何も残らないのだから、 1,000円分の量ならば1,000円の被害があったと考えていい。

 しかし、デジタル・メディアなどの情報財の場合は違う。たとえ違法に複製されたとしても、 オリジナルはずっと手元に残るのである。ここが、モノとの決定的な相違点である。 いくら複製されようとも元々の著作物が失われないにもかかわらず、それを明確な“被害”と呼んでいいものだろうか。

 つまるところ、こう言うことができる。被害は被害でも、物的な財における被害とは明確に異なる。情報の財の場合は、あくまで “販売の機会”を喪失しているだけなのである。言い換えれば、売り上げの見込みを失ったということである。 これは現実に起こった被害というよりも、未来における可能性の喪失といったほうがいい。それを、 現在における明確な被害と同列に論じることはけっしてできない。

 このように考えると、知的財産に関連した法が他の諸法と比べていかに異質かがわかる。民法や刑法などの場合、 明確な被害が出ていなければ被告側に大きな責任を負わせることは難しい。しかし、こと知的財産の場合は、 ここまで論じてきたように被害が実際にはあいまいであるにもかかわらず、大半の場合、裁判所は権利者側が提示した「被害額」 を基準にして巨額の賠償金を被告側に課すことが多い。

 機会喪失と物的な被害を同一に扱うことが妥当なのか。これは、やはりおかしいと言うほかない。法曹界の関係者も、 他の諸法との関係からもう一度知的財産関連の法について見直すべき時期に来ているだろう。

(次回につづく)

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2006年07月26日

「海賊版被害額」の誤謬 (2/5)

複製者の心理的側面

 あなたは、よく駅前などで宣伝のために配られているポケットティッシュを受け取ったことがあるだろうか。実は、このことが 「海賊版被害額」の誤謬を考えるうえで、非常に大きなキーになる。

 前回は被害額の算定方法に問題があることを、物的な財と情報財との比較によってシンプルに説明したが、 それ以前に大きな問題が横たわっている。それをポケットティッシュを例にとって考えてみよう。

 われわれは、確かに配られているポケットティッシュを受け取ることがある。それは、なぜだろうか。言うまでもなく、無料(タダ) だからである。「ひとつ50円です」と言われてわざわざ手に取ることはないだろう。

 ではひるがえって、特にネット上において違法な複製物をダウンロードする場合のユーザーの心理はどうか。こちらも、 無論タダだから手に入れようとする場合が多いだろう。「この音楽ファイルは1曲100円です」と請求されるのなら、 はじめから合法サービスを利用するはずだ。

 要点はここにある。「対象物を受け取る」という面においては同一であっても、「無料だからとりあえずもらっておく」といった場合と 「必要だから買う」といった場合とでは、まったく次元が異なるのである。つまり、海賊版を手に入れた人物が、 必ずしもそれがなければ正規版を購入したとは限らないということだ。

 そこで、現在多くの著作権者(特に企業)がしていることを考えてほしい。彼らはこの二つを混同したうえで、被害額を計算している。 換言すれば、違法な複製物を入手したユーザーはすべて、本来ならば正規品を購入したはずだと。

 これがいかにおかしなことかは、賢明な読者諸氏ならばすでにおわかりだろう。たとえるなら、 広告用のポケットティッシュが1,000個さばけたから、販売品のほうも1,000個売れるはずだと考えるようなものである。

 もちろん中には、正規版を購入する予定だったのが無料という魔力にひかれて海賊版を入手してしまった場合もあるだろう。いずれにせよ、 ポイントは「無料だからとりあえずもらっておいた」人物と「金を払うつもりだったが海賊版を手に入れてしまった」人物の見分けは、 事実上できないということだ。それは本人にしかわからないことであり、 場合によっては気軽にダウンロードしたから本人でさえよく覚えていないといったことも有り得る。

 これが、カジュアル・コピーの現実だと言っていい。海賊版業者のように金銭的利益のために明確に脱法行為をするのとは異なり、 オンライン、特にファイル共有ソフトを利用した違法な複製品の場合はよくも悪くも“気軽に”著作物のやり取りをしているだけなのである。

 実際、ファイル共有ソフトのユーザーは入手したコンテンツのすべてを使っているわけではないとよく言われている。 少しでも欲しいと思ったものをとりあえずダウンロードし、ハードディスクなどにためておく。いわば、 現実に使うかどうかはともかく“コレクション”として収集しているだけなのである。ただ集めているだけなのに、 それが本当の被害につながるかは極めて疑わしいと言わざるをえないだろう。

 当たり前だが、ここでは「被害が出ていない」と論じているのでは決してない。おそらく被害が出ているのだろう。だが、 その多寡はわからないということを主張したいのである。

 ただし、カジュアル・コピーと企業(プロフェッショナル)が組織的に違法な複製品を利用する場合とでは、 はっきりと分けて考えたほうがいい。一般のユーザーと違い、 企業などプロの世界においては必要だから海賊版を利用していることが大半である。なぜなら、 それがなければ業務が成り立たないから。今でも企業による不正利用があとを絶たないが、 この面では100のライセンス違反があれば100ライセンス分の被害が出たと考えても差し支えないように思う。

 とはいえ、違法複製による被害を考えるうえではもっと根本的な問題がある。それは情報財の場合、 被害を被害といえるのかということである。

(次回につづく)

投稿者 KATANA : 19:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月25日

「海賊版被害額」の誤謬 (1/5)

被害額の算出方法

 知的財産のさまざまな問題が叫ばれるようになって久しい。中でも著作権に関しては、 無数の訴訟が起こされたり侵害行為がネット上で横行するなど、何かと話題に上っている。

 ただ、著作権侵害による被害は、実は他の分野におけるそれとは事情が異なる面が多い。一口に「被害額」といっても、 本質的に違っている部分があるのだ。それについて以下に論じてみたい。

 まず、商業的な著作物が違法にコピーされたりした場合の被害額はどのように査定するのだろうか。これは、 単純に商品の単価で計算することが大半である。たとえば、1,000円の音楽CDが100回違法に複製されたら10万円の被害、といった具合に。

 けっして正規に販売されていた場合の利益分で計算することはしないのである。200円の利益が出ていたはずだから、 2万円の被害とは考えない。

 これは、自動車などの物的な財を考える場合にはまったくもって妥当である。そういった“モノ”を製造する場合には、 原材料費や機械設備の維持費などを含めて、いわゆる製造コストがかかっている。だから、1,000円のモノが盗まれた場合、 そっくりそのまま1,000円の被害であるといっていい。

 しかし著作物、中でもデジタル・メディアを利用したものの場合はどうだろう。確かに、製造コストはかかってはいるだろう。音楽の場合、 ミュージシャンの人的費用やスタジオの利用費などが考えられる。

 ただし、複製物には費用はほとんどかかっていない。違法コピーについてわかりやすくするために、 音楽のデジタル・メディアと自動車とを比較しながら考えてみよう。実際に複製という行動をとっているのは各ユーザーである。 あくまで工場でつくっている自動車とは違う。ネットから音楽ファイルをダウンロードした場合、輸送費(ネットの利用費) を負担しているのはあくまで各ユーザーである。各販売店へ自費で輸送している自動車とは違う。

 つまり情報財の場合、たとえ違法な複製行為であってもその際にかかるコストを負担しているのは、まぎれもなく各複製者なのである。 ここで言いたいのは、自動車などのモノが実店舗で盗まれるのと、デジタル・メディアがネットなどで違法に複製されるのとでは、 まったく次元の異なる問題だということである。言い換えれば、物的な財と情報財とを混同して考えてはならないということだ。

 この点だけでも、海賊版被害額の算定方法がいかにおかしいかがよくわかるだろう。1,000円の音楽CDが複製されたからといって、 そっくりそのまま1,000円の被害というわけではない。上記のとおり、情報財が複製される場合のコストは複製者が負担している。

 ただ、オリジナルの制作に費用がかかっていることは事実なので、商品の単価ではなくその利潤の額で被害額を計算したうえで、 制作コストを上乗せしたものが最も実態に近い数字になるだろう。

 考えてみれば単純なことである。しかし、著作権者の側はまず間違いなくそういった計算をしない。なぜなら、 実態より大きい被害に見せかけることで、周囲から(特に政治的な面で)自分たちに有利な要素を引き出そうという考えが根底にあるからである。 言葉をかえれば、同情を買おうとしているといってもいい。だから、 どう考えても実際の被害よりも大きくなってしまうことは明白であるにもかかわらず、商品の単価を基準にして被害額を算出しようとするのである。

 ただし、「海賊版被害額」というものはもっと実態があいまいな面さえある。その原因は、 複製者の心理的な側面を完全に無視していることだ。

(次回につづく)

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2005年10月04日

『のまネコ』問題と著作権 (2)

 前回は『のまネコ』問題における著作権の面からの解釈を考えてみたが、今回はエイベックスという企業の側の態度について触れてみたい。

 多くの人々が気づき、最も憤りを感じている点は、やはり著作権に対する態度の矛盾だろう。エイベックスは以前から一方的にCCCDを導入したり、ファイル共有ソフトを訴えたりと、とかく“著作権の保護と啓蒙”をうたっていた。

 しかし前回みたように、他者の著作物に対する意識はあまりにもいい加減だったといわざるをえない。自分たちの著作物は強硬に保護しようとするくせに、他者の著作物はその権利を尊重しないどころか、自分のものしようとさえする。呆れるほどに利己的な態度だ。

 エイベックスをはじめ著作権者の側は、よく「芸術・文化を守るために著作権を遵守せよ」という。しかし今回の件からもわかるように、けっきょく企業とは著作権というものを金もうけの手段としてしか考えていないのだ。

 つまり、自身の利益しか基本的に意識にない企業の主導でこれまで著作権法の改正が行われてきたがために、どんどん著作権というものがおかしくなってきてしまったともいえる。私的録音・録画補償金制度が典型的な例だ。

 レコード会社をはじめとした著作権者たる企業はよく、「芸術の創造的サイクルの維持」がみずからの役割だと主張する。しかし昨今の一連の出来事をみるかぎり、そんなものは建前にしかすぎないことがわかるだろう。

 企業の主張を優先するかぎり、文化を真に発展させることは難しいように思う。それだけに、現行の著作権審議会へ民間からの参加がもっと必要なのだが……。どうなることやら。

# 『のまネコ』問題は終わらない。次回は、企業のやらしさとマスコミの腐敗について。のまネコはいろいろなことを示唆してくれる。

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2005年10月03日

『のまネコ』問題と著作権 (1)

 ネット上で騒がれていた『のまネコ』問題。渦中にいるエイベックスがこのキャラクターの著作権をもつ有限会社ゼンへ商標出願を取り下げるよう依頼したことで、ひとまずは沈静化の方向へむかいそうだ。

 簡潔にまとめると、2ちゃんねるで生まれたキャラ『モナー』をベースにしたものを、エイベックスがあたかも自分のものであるかのように商業展開しようとしたことが発端だった。

 法的には、モナーのような複数の人物によってつくられた作品は“共同著作物”と呼ばれる。何も難しいことはない、基本的に単独でつくったものと同じように著作権で保護されるのだ。

 エイベックスは、その2ちゃんねるユーザーの共同著作物をベースにして『のまネコ』をゼンにつくってもらい、それを使用したということになる。モナーとは厳密には違うものの、エイベックス自身、

『のまネコ』は、ネット掲示板において親しまれてきた『モナー』などのアスキーアートにインスパイアされて映像化され、当社と著作権管理会社が商品化にあたって新たなオリジナリティを加えてキャラクター化したもの

 と、実質的にモナーが元であったと認めている。

 この場合、のまねこは二次的著作物と呼ばれる。一応、著作権は認められるが、すでに著作権のある作品をベースにしているため、その公開・使用などの際には当然ながら元の著作権者の許諾がいることになるのだ。

 つまり、エイベックスとゼンの側がモナーの著作権者の許可を得ていれば、なんの問題もなかった。しかし、この問題を複雑にしているのは、2ちゃんねるなど不特定多数のユーザーが参加している場でつくられたものの場合、オリジナルの作者や共同著作者が誰なのかが判然としないことだ。これでは、正式に交渉したくてもできない。

 だからといって、今回のエイベックスのように勝手に商業展開していいわけがないのはもちろんだ。のまネコ問題は全般的に、エイベックスの軽率な行動がその根因にある。以前、タカラが似たような件で周囲から非難を浴びたということがすでにあっただけに、著作権保護に対する意識があまりにお粗末だったと言わざるえない。

 ただ、今回のことは不特定多数による共同著作物を法的にどう扱うかなど、いろいろなポイントをわれわれに示してくれたと思う。著作権制度じたいが今、曲がり角に来ている。これからどのように対応していくか、よくよく考えなければならない。

# 次回はエイベックスの態度について。なんのための著作権なのか――。

投稿者 KATANA : 13:07 | コメント (3) | トラックバック