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2007年02月24日
XNAはWindows向けのゲームがつくりやすく、Xbox360にもほとんどそのまま移植できるだけでも相当な魅力を秘めている。
しかし、いかんせんXNAのテキストが少なすぎる! 米国でさえ、5月以降でないと解説本が出てこないという現実……。日本にいたっては、未だオフィシャルな情報さえ日本語訳されていないような状態だ。まあ、昨年末に正式リリースされたばかりだからしょうがないんだけど。
というわけで、今のうちは素直に英語のチュートリアルを読むしかないようだ。とりあえずMSDNにある概要に目を通して、そことかぶる部分もあるけどxna developmentもオススメ。あと、Coding4FunのTiny Tennisをつくるチュートリアルは、単純なゲームだがわかりやすくていい。どれも中学生レベルの英語でちゃんと読めるので、あとは根気だけ。
まとった情報を得るには、やっぱり5月にリリースされる書籍を待つしかないようだ。英語だけど(苦笑)。それまでは、クリエイター同士での情報共有が望みかな?
投稿者 KATANA : 12:12 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月22日
相変わらず、著作権関連のことがらが迷走を極めている。特に最近気になっているのは、著作権保護期間の延長問題だ。
延長といっても、実は著作者の“死後”についてものだったりする。今でも50年も保護されているのだが、一部の著作権者がさらに20年延長しようというのである。
つまり、ある人物がある作品をつくり、その彼・彼女が50年後に死んだとすると、総計120年間も著作権が継続することになる。はたして、これが社会的に見て正常なことだと言えるのだろうか。
そもそも、作者の死後まで保護期間が続くというのが理解できない。賛成派は、著作者の遺族の保護のためだというが、それさえも根本的なところで首を傾げたくなる。
なぜかといえば、著作権は「文化の発展に寄与すること」が目的なのであって、著作者・著作権者の保護ならまだしも、それとは間接的にしかかかわらない存在にまで適用範囲を広げることは、けっきょく著作権の本来の意義から離れすぎてしまうためだ。
著作権は生命保険ではない。そんなに自分の死後の家族が心配ならば、存命中に素直に生命保険に入ればいいではないかと思うのだが、賛成派はなんと答えるだろう。
投稿者 KATANA : 13:48 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月03日
青空文庫で、たまたまカントの小論文を読むことができた。『永遠の平和へ』というものだ。
初めはなんの気なしに呼んでいたのだが、すぐにこれは現代の国際社会を考えるうえでも非常に役に立つことがわかってきた。特に、イラク問題に関して示唆するところがあまりにも大きい。
外圧による内政干渉は、スキャンダラスな事が起きていようと、自らの病と格闘している、独立した民に対する権利侵害であり、あらゆる国家の自治権を危ういものとする行為であろう。
たとえどんな理由があろうと、ある国の問題はその国自身で解決すべきということだ。これは他国の尊重であると同時に、自国がもしもの状態に陥ったときに独立を保つための正当な権利主張の根拠にもなる。どんな国家であろうと自治権を侵害されるべきではないということだ。
その点、今のイラク情勢はどうだろうか。米国は、この1795年に書かれた論文からいろいろなことを学んだほうがいい。
ただ、イラク紛争は米国による報復措置という意味合いが強い。しかし、カントはきちんとこの点にも触れている。
戦争とは、法的効力を持つ判決を下すことのできる法廷が存在しないがため、権利主張を力ずくで行う、悲しい非常手段である。この場合、裁判官がいないので、どちらが間違っているかなど宣言することはできない。神の審判が下ったのだというがごとく、勝った方が正しいことになってしまう。しかし二つの国家間において、どちらが上で、どちらが下ということはないのだから、罰としての戦争などありえない。
「罰としての戦争などありえない」――。しかし、現に米国は罰としてイラクを侵略した。ここには米国が「世界の憲兵」としての自負、その度を超した傲慢があるために、「二つの国家間において、どちらが上で、どちらが下ということはない」はずなのに、米国自身はみずからが上だと考えている。だから、“世界秩序維持”などと称して他国の権利を無惨にも侵害する。
こうなったもう一つの原因は、カントが指摘するように国家が行うことに対する審判員がいないことだろう。国連が無力だということは、今では小学生でもわかっている。では、大国が代わりに判断するのか。だが、それこそが大国による小国への抑圧に他ならない。
ならば、勝ったほうが正義だといえるのか。しかし今のイラクを見るにつけ、けっして占領した米国の勝利とはいえないものがある。
これらの先には何が待っているのかという問いに対し、カントは恐ろしい結論を導いている。
やはり戦争中であっても、敵の考え方に対して何らかの信頼が残っていなくてはならない。そうでなくては、平和を締結することができなくなってしまうだろう。憎しみにより敵を根絶するための戦争に突入してしまうだろう。
そして――
だから敵を根絶するための戦争だと、両方とも根絶やしにしてしまうかもしれないし、何でもありということになってしまい、永遠の平和とは、人類の巨大な墓の上にしか存在しえないだろう。
残念ながら、この論理を否定できるだけのものを私は持たない。兵器の性能が増している、すなわち大量殺戮が容易になっているだけに、「根絶やし」の危機はカントの時代以上に高まっているともいえる。そのことは、北朝鮮のような危険極まりない国が核を保有している可能性があることだけでも十分な論拠だ。
こうした状態を脱するため、世界の恒久的平和を実現するために、カントは一種の連邦制である“世界政府”の設立を提案している。現代はいわば先進国という名の貴族が、途上国という名の平民を虐げている時代であるともいえよう。
もし民主制国家のように、国際社会においても真の民主主義が実現されるならば、そのときこそ戦争という人類の軛から脱することができるのかもしれない。
投稿者 KATANA : 10:10 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月02日
普段、「紙copi Lite」というソフトをメモ帳として使っている。動作は軽いし、レイアウトがわかりやすくていいのだが、いかんせん複数の端末でメモを共有したいときに困ってしまう。
そこで、Webサービスのメモ帳を使ってみようかと思い立った。これなら、いつでもどこからでも必要な書き込みにアクセスできるからだ。
しかし、どれもこれも本当に“ただのメモ帳”で、要するに機能面で全然物足りない。特に、うっかり保存するのを忘れがちな自分にとっては、自動保存の機能がないと怖くて使っていられないのだ。
どうしよう……と考えたところで、はたと気付いた。ケータイで未送信のメールをメモ帳代わりにするように、Webメールを同じように使ってみたらどうか。
Webメールも数々のサービスがあるが、どうせならAjaxで使いやすく機能も充実したものがいいだろう。となれば、現時点では断然Gmailだ。
いざ実際にそれを使用してみると、思った以上に“Better”なことがわかった。自動保存はもちろん、リッチテキスト形式ならば文字の整形もけっこうできる。
特に、各メールにラベル(タグ)を付けられるのが大きい。つまり、メモごとにタグで分類することができるわけだ。これはスタンドアローンのソフトでもなかなかないことなので、Webメールをメモ帳として使う大きなメリットのひとつと考えていい。
さらに、携帯端末への転送が容易なことも挙げられる。普通なら、それらをいちいちPCに繋いでファイルを送らなければならないが、メールならば当然ケータイなどの専用アドレスへ送信するだけですむ。言うまでもなく、携帯端末の側がGmailに対応しているのならばその必要さえない。
ただしAjaxの特性上、Webアプリの最初の読み込みにやや時間がかかってしまう傾向があるから、OSを立ち上げたらすぐに取りあえずGmailにログインしておくのがいいかもしれない。待っている間に、メモしたいことを忘れてしまうことがないように。




