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2006年09月06日

匿名性は本当に必要なのか
IT

 市民メディア『OhmyNews』が正式に活動を始めたこともあり、再びネットにおける情報発信のあり方についての議論が活発化している。

 中でも頻繁に焦点が当てられているのは、匿名性の問題だ。インターネットは情報メディアという面から見ると、まさにこの匿名性の高さがひとつの特徴だが、それゆえに様々な問題を抱えてしまっている。

 著作権侵害をはじめとした犯罪行為や、誹謗中傷が当たり前のように横行してしまっているのもそれが原因である。

 実際には完全な匿名性は確保されておらず、ユーザーの身元を突き止めることは比較的簡単なのだが、明確な証拠がないかぎり身元の情報開示を請求することが難しいことと、あまりにも多くの問題行為が存在するためにある程度は黙認せざるをえないというのが現状だろう。

 しかも最近ではファイル共有ソフトのWinnyに代表されるように、意図的に匿名性を高める目的のツールなども登場してきている。ウェブでもプロクシサーバの利用がより一般的になれば、さらに身元の追及が困難になる。

 言うまでもなく、匿名性が必要とされる場合もある。たとえば、日本では組織の不正を内部告発することを認める法律が存在しないため、こういった場合、情報発信者は守られなければならない。また、大きな問題をテーマにする際には周囲の強い反応があるだろうから、それから身を守るために匿名での主張は必要なはずだ。

 しかし、他に匿名性が求められる場合は何があるだろうか。実は、それほど多くはない。大半は、感情的な面で「匿名のほうが主張しやすい」というだけのことだ。

 はたして、これはそんなにも重要なことだろうか。匿名性が高いことのデメリットは先述のとおりであり、それは自分の主張に対して責任感が希薄になるせいだ。だから、ネット以外ではけっして言わないような酷いことを気軽に書き込んでしまったり、“カジュアルな”犯罪行為につながったりしてしまう。

 言論・表現に限らず、自分のやったことに自分で責任を持つというのは当たり前のことなのだが、それがネットの世界では匿名性を盾に簡単に破られてしまうのである。

 つまり、特殊な状況においてのみ当てはまる“匿名性の必要性”を、通常の状況にまで当てはめようとするからおかしなことになるのである。一般的に、特殊な場合をもって通常の場合を語ろうとすると、いつか必ず弊害が生じる。祭りのときのことをもって日常生活をどうこうするようなものである。例外はあくまで例外であって、通常とは違うのだということをわきまえる必要があるだろう。

 真に重要なのは、「気軽に書けること」なのか。それとも、「一人一人が責任感を持つこと」なのか。それを考えた結果が、匿名性について語るうえでの答えになるはずだ。

投稿者 KATANA : 2006年09月06日 20:05

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