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2006年08月23日

ピッチャーの負担を考えて

Sounds of 甲子園球場(夏の高校野球編)

 盛り上がった夏の高校野球も昨日で終わりを告げたわけだが、個人的に気になることがあった。

 それは、相変わらずピッチャーへの負担が大きすぎることだ。早稲田実業の斉藤投手は確かに素晴らしいピッチングをしたが、約2週間で7試合に登板、そのうち69イニングのほとんどを一人で投げきり、しかも直近の4試合では4日連続の完投。さらに、そのうち1試合が延長15回までいったのだから、こんなのは常識的に考えて有り得ない

 何が有り得ないかというと、一人の投手をそこまで酷使したことだ。斉藤くんのがんばりは凄い。そのことは素直に賞賛したいが、それだけの過度の負担をおわせてしまったことは本来ならば大問題だ。

 アメリカでは、若い選手には決して無理をさせない。否、させてはいけないというコンセンサスがあるのだ。そのため、以前から球数制限が導入されており、ルールとして投手の負担を軽減しようとしている。

 だが日本の野球、特に高校野球では当たり前のようにピッチャーに連投させる。もし投手が肩や肘を壊してしまったら、アメリカでは監督が周囲から猛批判を受けて責任を取らされるが、日本ではそういったことをしでかした監督でも平然と指揮をつづけている。

 ならば、監督にすべての責任があるのだろうか。私はそうとも思わない。確かに現場の責任者としての問題はあるが、日本では投手に無理をさせることが当たり前になっている状況では、彼らにだけ責任を負わせるのは酷というものだろう。

 だから海外を見習って、投球制限を設けるといった“ルールとしての歯止め”をつくったほうがいい。つまりピッチャーの負担の問題は、各監督だけでなく未だに腰の重い高野連の側にも原因があるということだ。

 そして、われわれ一般のファンやマスコミにもその一端はある。すばらしい試合、すばらしい感動を求めるばかりで、ほとんどの人が選手の負担のことなど考えない。呆れたことに、専門家であるスポーツ記者たちでさえそのことを指摘する場合はきわめて少ないくらいである。

 要は、日本全体が高校野球の異常性に気づいていないということだ。長い歴史の中で慣れてしまったのか、それとも別の理由があるのかはわからないが、監督・高野連を含めてすべてがこの問題に関してはどこか狂っていて、本質を見ることができていない気がする。

 ただ、現実に投球制限などを設けると、選手層の薄いチームほど不利になるといったデメリットもある。しかし、野球は控えメンバーを含めてのチームスポーツであり、層が厚くできなかったのならば、それも含めてチームとしての力だとする考え方もある。

 もちろん、選手たちは無理をしてでも投げたいと思うだろう。それが、優勝がかかった大事な試合ならばなおさらだ。しかし、そういったときに無茶をさせないように止めてあげるのが、われわれ大人の側の役割ではないだろうか。アマチュア、ましてや若い世代においては、結果は必ずしも重要ではないのだから。

 仮に投球制限が難しい場合でも、スケジュールについては早急に改善したほうがいい。1試合だけでなく、日程が詰まっているゆえのピッチャーの酷使の問題もある。特に、大会終盤の連続試合は異常だ。プロでもきつい日程を高校生に課してどうするのか。

 球場の確保など、いろいろと難しい面があることはわかる。しかし、選手たちの将来のことを考えるなら、絶対にどうにかしなければならないことだ。

 ともかく、投球制限(投球数、試合数)かスケジュール改定のどちらかだけでも必ず実施すべきだ。斉藤くんや田中くんのような素晴らしいピッチャーが、甲子園のために潰れてしまってからでは遅い。高野連と各校の責任者には、迅速な対応を期待したい。

【関連サイト】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other...

投稿者 KATANA : 2006年08月23日 09:50

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