2006年08月10日
高校球児らしさとは?
1回戦も今日で終わり、甲子園が盛り上がっている。どうも、今大会は試合の質も高いようだ。その点、試合を見ていて飽きないのだが、どうしてもプレイとは関係のない面でいくつか気になることがある。その最たるものが、選手たちの“画一性”だ。
ほとんどのチームの選手が丸刈りで、似たようなユニフォームばかり。プレイもバントなど堅実なものが多いなど、どうにも個性を感じにくい。
これは選手たちの責任なのだろうか。いや、そうではないだろう。たとえば高校野球の場合、ユニフォームだけではなくバッティンググラブの色やヘアスタイルにまで注文をつけている。「華美」なものは駄目で、とにかく“高校生らしく”ということらしい。
しかしこうした高校生らしさとは、いったい誰にとってのものなのだろうか。球児たち自身ではないことは明白だ。誰だって、あれこれと制限されたくはない。しかも、それが納得しかねるものであるならなおさらである。
結局、こういった高校生らしさという概念は、高野連を取り仕切るお年寄り連中の古い考え方でしかない。いわば、彼らにとって理想の高校球児のイメージを今の選手たちに押し付けていると言い換えてもいい。
これは、形をもたない一種の暴力である。価値観は人それぞれであり、それを押し付けることは一面では物理的な暴力以上にひどいことかもしれない。
時代は常に移ろいゆく。今の高野連の幹部が若かった頃と現在とでは、当然ながら状況がまるで異なる。それにもかかわらず、過去の価値観を現代をまさに生きる若者たちに押し付けることがはたして許されるのだろうか。
球児自身よりもむしろ、枠にはまった子供たちを見て悦に入る中年連中の姿に薄ら寒いものを感じてならない。
投稿者 KATANA : 2006年08月10日 11:29
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