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2005年11月23日

モットラム氏と日本の審判

 審判として、そして審判の「育成者」としてJリーグに貢献してきたモットラム氏が退任することになった。

 プロサッカー黎明期の日本へ本場からやってきて、厳格なジャッジをわれわれに見せてくれたことは感謝してもしきれない。しかし正直なところ、全面的によかったといえないところもある。

 昨今、日本の審判がさまざまな面で問題とされている。ミスジャッジは単純な能力のなさが原因だからともかくとしても、気になるのはピッチの上で絶対君主のように振る舞ったりするというメンタル的な部分だ。選手以上に激昂して冷静さを失う、周りとコミュニケーションをとらない、些細なことまで厳格にルールを適用しようとする、柔軟性がない……。

 実は、こうした特徴はモットラム氏が現役時代に行っていたジャッジのやり方に共通するものがある。もちろん悪意を持ってやっていたわけではないだろうが、それでも個人的に以前から違和感を覚えていたのは事実だ。

 残念ながら、モットラム氏の方法論は国際的な基準とは程遠い。現在の審判に求められているのは、威厳よりも柔軟性と落ち着きである。氏の独自のスタンスがいつの間にか日本の審判に浸透し、結果的に日本のジャッジの基準が世界のそれと乖離してしまったように思う。

 これは、国際化した現代サッカーのシーンではデメリットになりこそすれ、メリットはほとんどない。たとえば代表選手たちは、Jリーグと国際舞台でジャッジの基準が異なるために、それぞれで戦い方じたいを変えなければならない。日本の審判はちょっとしたチャージでもすぐに笛を吹くので激しいプレイを自粛する、などだ。

 日本のサッカー界はいわば、“ダブルスタンダード”になってしまっているのだ。こうした状況がプラスに働くとはとても思えない。

 だからこそモットラム氏には申し訳ないが、氏が日本のサッカーシーンから離れるのはむしろ方向修正のいい機会ではないか。日本のサッカーファンならば、日本の審判がおかしいのは誰もがわかっているはず。おかしいならば、すぐにでも修正すべきである。今後の審判委員会の動向に注目したい。

投稿者 KATANA : 14:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月05日

企業という存在

 ネットで大騒ぎになったのまネコ問題といい、産業廃棄物の不法投棄といい、最近は企業の不祥事があまりにも多い。今ではそういったことが当たり前になりすぎて、“モラル・ハザード”という言葉じたいが使われなくなっている。

 どうして、こうなってしまうのか。これは誰もが気付いているとおり、利益を優先する意識から起こる。JR西日本による列車事故なども、「儲けが出るなら多少の無理はしてもいい」という考えが温床となっていたであろうことは疑いない。

 利益という表面的なことにこだわるから、中身の質が低下していく。これは、あらゆることにいえることだ。

 昨今、マスコミの誤報や過剰演出が問題なることが多いが、けっきょく「中身はなんでもいいから視聴率さえ取って儲けられればいい」という安易で危険な考えにとらわれているのが原因である。だから結果として“強者になびく”という、中立をもって正道とする報道機関としてはあるまじき方向に進んでしまうことになる。

 となると、利益の継続的な追求を至上命題としている資本主義じたいに欠陥があるということだ。今は資本主義、自由主義経済が当然視されているものの、実は問題点だらけのシステムなのである。

 ただ、部分的には改革が少しずつ進みつつあることも事実。エイベックスは松浦氏が社長に就任してからはよくなる傾向が見られるし、放送局は質の高い番組を讃える賞をつくったりしている。

 それでも「のまネコ」問題で明らかになったように、そういったことが末端まで行き届くには時間がかかりそうだ。

投稿者 KATANA : 12:53 | コメント (0) | トラックバック