« DJ MAXという音楽ゲーム | メイン | 新ブログへ移行しました »

2005年09月07日

郵政問題で知っておいてほしいこと

 ここ数ヶ月、政治の世界では郵政の民営化についての議論が激しく戦わされている。少し時期が遅れてしまったが、 私なりの考えを記してみたい。

 一般に郵政について語られているところを聞くと、気になることが二つある。それは、ある要素に対する“勘違い”と“誤謬”についてもの。

 ひとつは、郵政へのとらえ方自体のことだ。大半の人々は「公務員=お役所しごと」、つまり郵政は非効率であるという考えである。 確かに郵政も公的機関であり、巨大な組織である以上、そういった面はあるだろう。しかし実は、すべてがそうではないのである。

 むしろ、郵政の現場――すなわち郵便局で実際に働いている人々は非常に厳しい状況に置かれている。なぜか? まず、 きつすぎるノルマの問題。郵政民営化の議論が巻き起こり、公務員に対する国民の見る目が厳しくなっているせいなのか、 ともかく尋常ではない仕事量をこなさなければならないのだ。

 郵便の配達員がバイクで歩道を走ったり、小包の受け渡しのためにしつこく呼びかけたりしているところを見かけたことが一度はあると思う。 あれはノルマ達成のために、そうせざるをえないのでやっているという面もあるのだ(もちろん、それがすべてではないが)。

 現場での苦しさを物語るように、郵便局員が病気で倒れたり鬱病になってしまったりといったことが相次いでいる。そして、 きつい仕事に耐えきれずに辞めていく人も多い。

 さらには現場の局員にかぎらず、中間管理職にある人々も心身両面の不調を訴えている。なぜなら現場に近い立場にいるがゆえに、 そこで働いている部下たちの苦しさがわかるのだが、上からは厳しいノルマを突きつけられ、いわば上と下からの板挟みに遭ってしまっているのだ。

 はたして、こういった現状を踏まえた上で「公務員=お役所しごと」といえるのだろうか。少なくとも私はいえないし、いいたくない。 現場で働いている彼らはある意味、民間企業のサラリーマン以上に辛酸をなめさせられている。 公務員であるために、自分たちを保護してくれる労働組織が事実上ないから、 ほとんどの場合文句をいうこともできずに泣き寝入りするしかないからだ。

 郵政問題についての議論において、このことが話題の上ることはまったくない。つまり郵政民営化の支持者たちは、 郵政をまさに扱っていながらその郵政の現場をまるで知らずに計画を進めているのである。仮に民営化の必要があるとしても、これほど“調査不足” のまま議論を進めてしまっていいものだろうか。

 情けないのは、マスコミも同様である。リゾート施設への資金の無駄遣いや特定郵便局の世襲制などセンセーショナルなことは扱うものの、 肝心の基礎的な部分の報道がまるでなされていない。これでは、国民が「郵政の現実」を知らないままになってしまうのも無理はない。

 つまりこの点に関して指摘したいのは、一口に郵政といってもいろいろあるということだ。確かに、資金の無駄遣いや信じがたい世襲制、 そして一部の責任ある立場の人間の無責任はできるだけ早く是正されなければならない。しかし中には頑張っている、苦しんでいる人もいるのである。 そういった人々をも含めて、十把一絡げに「郵政=問題」とするのはいかがなものだろうか。

 気になるもう一点は――こちらがより根本的な問題なのだが――郵政改革について根本的な勘違いがあることだ。それは、「効率化=民営化」 とされていること。「公的機関は非効率なことが多いから、民営化すれば無駄がなくなるだろう」、一見するとこの主張は正しいようにも思える。

 しかし、待ってほしい。民営化すること、すなわち民間企業となることが効率化することに繋がるというのなら、 なぜ当の実業界では非効率な企業が問題になっているというのか。コクドグループしかり、 三菱グループしかりである。今まさに企業の非効率な面が議論されているというのに、なぜその一方で郵政問題では「効率化=民営化」 などといったことが当然のごとく考えられているのか。

 これは大きな、そして危険すぎる勘違いである。結論をいえば、民営化したところで効率化される保証などどこにもない。それどころか、 かえって危うい面もある。

 こうした意見に反論する人は、「JRやNTTはうまくいっているじゃないか」というだろう。しかし、これこそが危険性の最たる例なのだ。

 たとえばJR。最近、JR各社それなりにいい業績を出しているのは、全面的に企業としてうまくいっているというわけでは全然なく、 ただ単に旧国鉄時代の資本を利用しているにすぎない。そして、こうした資本はもともと国民の血税を費やして得たものである。 つまりJRは企業として発足するに当たって、ほとんどの資本を“タダ”で手に入れたということだ。これならば、短期的には利益が出て当然である。

 これは日本航空についてもいえる。もともと半官半民の企業だったから、JRの場合と大差ない。NTTも今のところはうまくいっているが、 これから競争が激化していく中で長期的にどうなるかはまったくわからないだろう。

 そして象徴的なことが、JRやJALで近ごろ不祥事が相次いでいることだ。これこそ、 公的機関を民営化したところで必ずしも効率化されるわけではないことの極めて明確な証左となる。

 さて、こうしたことを知ったうえで皆さんはどう考えるだろうか。私は何も、改革の必要性がないと言っているわけではけっしてない。 むしろ先にも少し触れたように、いろんな意味で改革の必要性は大アリである。ただし、その方向性が「民営化」で合っているのかということだ。 しかも現場の苦しさや、実業界で蔓延している“人材の切り捨て”という事実を考えると、 民営化することでさらに組織の末端にいる人々に最悪のしわ寄せがいきかねない。

 問題は民営化うんぬんなのではなく、組織の在り方なのである。 民営化されても組織が狂っていては意味がない、逆に公的機関でも組織が健全ならばそれでまったくOKなのである。

 これから日本も「小さな政府」を志向していくのは、歴史の必然であろう。しかし、それが公的機関の単純な民営化であってはならない。 成功すればいいものの、失敗すればさらなる闇を引き起こしかねない。公的機関が公的機関とされていたのには、 それなりの理由があるのだから民営化という切り捨て御免のシステムではリスクが大きすぎる。

 滑稽なのは、郵政民営化を主張する今の議員たちが「公的な存在=非効率」 とみずから宣言しているようなものだということに気付いていないことである。「私は公務員です。ですから、私は非効率です」。 公務員の存在意義を自分で示すためにも、まずは公的機関のままでやれるべきところまでやることが重要なのではないだろうか。

 一部では、「改革を口で言っているだけでは何も始まらない。とにかく始めることが大切だ」とする意見もある。「細かいことは後でいい」 と。これは正しいように見えて、まったく無茶苦茶な主張である。こういった考えこそが、 これまで失敗に失敗を重ねてきた公共事業の根本にあるのだ。全国総合開発計画が最もわかりやすい例だろう。

 公民にかぎらず、大きな事業を行うためには十全な下準備が必要である。行き当たりばったりでうまくいくほど、世の中はあまくない。 それだけに、“現場を知らない”郵政民営化の推進派に対して不安がある。

 もちろん、「始めなきゃ始まらない」。しかし、今のままでは民営化しても必ず失敗するだろう。本当はどうすべきなのか。 われわれ有権者はいま、判断を迫られている。

投稿者 KATANA : 2005年09月07日 17:58

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://katana-edge.net/blog/mt-tb.cgi/23

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)