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2005年08月30日

小野、やっぱり移籍?

 先日、小野がフェイエノールトに残留することになったと書いたばかりだが、どうやらまた状況が変わったようだ。

 nikkansports.comによると、 オランダに到着した小野がクラブのフロントに直訴したらしい。今のところ、スペインのクラブと交渉中で、 一度はあのボルトンからもオファーが来ていたという。

 どうやら、小野の決意はかたいようだ。確かにかれこれ4年もオランダにいるのだから、そろそろ環境を変えたい時期だろう。 それに彼のファンタスティックなプレイスタイルは、どう考えても激しいエール・ディヴィジには合わない。

 スペインへ移籍できれば、今まで以上に輝くことができる可能性がある。期待したいところだ。

 ただ、ケガから復帰する前の移籍というのは昨シーズンの中田英を見てもわかるとおり、なかなかに難しい面がある。 移籍先へ溶け込むには時間がかかるものだが、それをリハビリをしながらやらなければならないからだ。

 それにフェイエノールトのファンは、自チームから離れようとする選手に対してかなり手厳しい。もし交渉がまとまらなかったら、 本当に大変なシーズンになってしまうかもしれない。

 今回の移籍話、小野にとってプラスとなる方向でまとまるといいのだが。

投稿者 KATANA : 15:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月29日

小野、フェイエノールト残留へ

フェイエノールト公式サイト 今度こそ移籍すると思われていた小野伸二が、 けっきょくフェイエノールトに残留することになった。レンタル移籍のオファーはあったものの、 完全移籍しか認めないフェイエノールト側との差が大きく、交渉の場につくことさえなかったようだ。

 小野にとっては悔しいだろうが、今回は仕方がなかったように思う。まだリハビリ中で、 しかも昨シーズン自体がケガに悩まされた一年だったからだ。

 ともかく、小野の場合は以前からケガが多すぎる。 本来ならばビッグクラブのスタメンを張っていてもおかしくはないくらいの実力はあるのだが、いかんせんケガに弱い。ここまで頻繁に離脱されては、 どのクラブも獲得に二の足を踏んでしまうのは当然のことだ。

 さらに小野が気をつけなければならないのは、復帰が遅れるとフェイエノールトの構想外にもなりかねないことだろう。現在、 チームは3連勝中。さすがに、ケガの多い小野を中心としたチームづくりはリスクが大きいということを昨シーズンに思い知ったのか、 「小野なしでも勝てるチーム」を目指していくようだ。仮にこのままフェイエが好調を維持していくと、 小野は本当に出場機会が激減する可能性さえある。

  これは小野だけでなく日本人選手全員にいえることだが、コンスタントに活躍するためにはとにかくケガをしないことだ。 どんなにいい選手でもケガをしてしまっては、文字どおり“使えない”選手になってしまう。そうならないためにもよく言われるように、フィジカル・ トレーニングによって「筋肉の鎧でからだを覆う」必要がある。

 基本的にテクニシャンほど身体トレーニングを嫌がるものだ。しかし、嫌とか苦しいとか言っている場合ではない。 もちろん一定以上の練習は積んでいるのだろうが、日本人選手が全般的にケガが多いことを考えると、まだまだ物足りないのだろう。

 ただ、ケガのしやすさ・しにくさというのは体質的な問題もあって、フィジカルを鍛えていなくても全然故障がない選手もいれば、 徹底的に鍛えているにもかかわらず頻繁にケガを負ってしまう選手もいる。難しいところだ。

 それにしても、けっきょく今回のマーケットでは日本人選手がビッグクラブに移籍することはなかった。反対に、韓国代表パク・ チソンは名門マンチェスター・ユナイテッドへ、イラン代表カリミは今やバイエルン・ミュンヘンのレギュラークラスだ。気が付いてみれば、 日本人選手はすいぶんと水をあけられてしまったものである。なんだか悔しいやら寂しいやら……。

投稿者 KATANA : 15:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月28日

リトル・トリー
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和田 穹男


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 昨今、「本当の豊かさとは何か」ということがよく議論されている。その延長として“ゆとり”をテーマに、教育や行政の分野などでさまざまなことが行われているようだ。

 しかし、時間的・金銭的に“ゆとり”があったとしても豊かでない人たちが多い。要するに人間の心にかかわることだから、表面をなでるだけでは効果が薄いということだろう。

 さて、今回紹介する『リトル・トリー』という小説は、両親を失った幼い少年がネイティヴ・アメリカン(インディアン)のチェロキー族である祖父母のもとで暮らすという物語だ。ストーリーの大半は日々の生活を淡々と語っているだけなのだが、その何気ないことがらの中にわれわれ現代人がはっとさせられる“知恵”がちりばめられている。

 今は、「なにが大切でなにが不要か」がわからなくなってきている時代である。いい学校に行き、いい会社に入れば幸せになれるなどといった神話は崩れ去った。どんなに物質的に豊かで、どんなに輝かしい経歴をもっていても幸せになれない。昨今の異常な事件や自殺、鬱病などの増加はそのことを端的に物語っている。

 われわれは何を見落とし、何を捨ててきてしまったのだろう? 田舎に憧れる人が増えているが、それは何を物語っているのだろう?

『リトル・トリー』は、その答えのパーツを与えてくれる。はっきりと書かれているわけではない。なにげない事実を語ることによって、大切な“何か”をわれわれに伝えてくれるのだ。

 この本には、本当の“生きる知恵”が記されている。現代を歩む皆さんにこそお勧めしたい一書だ。


【追記】 私は知らなかったのだが、この小説を題材とした同名の映画が出ているそうだ。もし観た方がいたら、ぜひ感想を聞かせてほしい。

投稿者 KATANA : 19:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月26日

本当に部員たちには責任がないのか――駒大苫小牧問題に寄せて

 いま、駒大苫小牧高校の野球部部長が引き起こした暴力が事件が、野球界だけでなく世間を騒がせている。 学校側が以前から問題を把握していながら隠蔽し、さらには同校が夏の甲子園で連覇という偉業を達成したことが、 かえって火に油をそそぐ形になっている。

 今回は明徳義塾の場合と異なり、いろいろな要因が絡まり合っているためにやや混乱している人も多いと思う。こういった際には、 問題をひとつひとつ別個に考えていく必要がある。

 第一には、理不尽な暴力を振るい続けていた部長の責任。これについては、議論の余地はない。明らかにその部長に問題があり、 教育者としてあるまじき行為をはたらいたのだから、できうるかぎり厳しい処分を下すべきである。一部報道によると、被害者の部員に対して 「苫小牧を歩けなくしてやるぞ」と脅迫までしていたという。情状酌量の余地はない。

 第二には、学校側の管理責任の問題である。暴力事件を以前から知っていながらそれを隠蔽し、あまつさえ発覚後に虚偽の発言までしている。 本来ならば、問題がわかった時点からできるだけ速やかに事実関係を明らかにし、被害者の保護・補償、加害者の処分を行うべきであった。

 にもかかわらず現実にはむしろ事実を隠蔽し、さらには被害者側に対して「殴られたのを3、4発にしておけば秋季大会に出られる」 などと圧力をかけていたという。言語道断である。この点の責任もはっきりしているのだから、 高野連だけでなく教育委員会や文部科学省からなんらかの処分を学校側に課すべきだろう。

 そして第三には、現場責任者としての監督の問題である。暴力は練習中にも振るわれていた。ならば、 そのことを監督は知っていたはずである。仮に知らなかったとしても、部内のことをきちんと把握していなかった責任からは逃れられない。 監督にも問題があったのである。ちなみに当初、監督は暴力事件について知らなかったとしていたが、 後になって学校側と同じく以前から知っていたことを認めている。

 最後に第四として、被害者以外の部員たちのことがある。 いろいろな問題が絡み合っている事件ゆえに前置きが長くなってしまったが、今回の記事ではこのことをメインに話を進めていきたい。

 さて、世間一般ではどうやら「部員たちに責任はない」とする意見が有力なようである。確かに、 問題を起こした張本人は指導者の側である部長にあり、隠蔽問題も学校と監督側に責任がある。そういった意味では、 当の被害者だけでなく他の部員たちも騒ぎに巻き込まれた被害者であるということもできよう。

 しかし、本当にそうだろうか。私はあえて疑問を呈したい。先に、監督は現場での出来事を知っていたならば、 彼にも責任があるということを示した。ならば、 暴力事件が起きていたまさにその現場にいた他の部員たちはそのとき何をやっていたのだろうか。 チームメイトが目の前で理不尽な暴力を振るわれていたのである。そのとき何をやっていたのか。ましてや、 被害者は顎の噛み合わせがおかしくなってしまうほどの怪我を負っていたのである。知らなかった、気付かなかったなどという言い訳は通用しない。 仮に本当にわからなかったとしても、チームメイトの苦境に気付いてやれなかった責任は重い。

 もし、他の部員たちが部長による仲間への暴力に対して見て見ぬふりをしたり、知らぬふりをしていたのならば、やはりその部員たちを 「責任なし」とすることはできない。

 ここに断言しよう。彼らは仲間を見捨てたのである

 人間は弱い生き物だから、おそらく自分の身がかわいかったのだろう。しかし、そんなことは言い訳にはならない。 確かに学校の先生でもある大人の部長に対して、高校生が個人で立ち向かうのは勇気がいる。しかし、 そういった時にこそチームとしての力を活かすべきではないのか。一人でやるのが難しいのならば、仲間と一緒にやればいい。さすがの暴力教師も、 部員数十人に囲まれたら腕力に訴えることもできない。チームメイトへの暴力を止めることができたはずだ。

 部活動は、仲間と一緒に苦労と喜びを分かち合うことにその本義があるのではないだろうか。ましてや、野球はチームスポーツである。 それにもかかわらず、仲間を助けようとしなかったことが本当に残念でならない。

 一部では、優勝旗を返還すべきだという意見もあるようだが、部員たちへ外部から処分を課すことは反対である。ただし、 もちろん前述のように加害者である部長と現場責任者である監督、そして事実を隠蔽した学校側へは十分な追求が必要であることはいうまでもない。

 私は今回のことに関して部員たち自身に、「何が起こってしまったのか」ということと「何をすべきだったか」、また 「これからどうすべきなのか」を考えてほしいと思う。 その結果として自分たちの責任もあるから優勝旗の返還をすべきだと考えるならそうすべきだろうし、 反対に自分たちにはやっぱり責任はないとするのなら、それもまたひとつの結論であろう。

 まずは個人で考えてほしいのである。他からの処分を甘んじて受けるというのではなく、それぞれが考え、そのうえで皆で話し合い、 “駒大苫小牧野球部”としての結論を自分たちで出してほしい。その結論がどんなものであっても、「自分で考え、自分で結論づけた」 ことは必ずこれからの人生で役に立つはずである。

 逆に、この件をうやむやのまま終えてしまったら、野球人生どころか人生そのものが悲惨なものとなるだろう。それは、はっきりと言える。

 今回の件はたまたま甲子園優勝校が引き起こしたために大きな話題となったが、この種の問題はスポーツ界、 ましてや高校野球にかぎったことではけっしてない。事実、組織の階層性の弊害、上からの圧力、上の傲慢、罪の隠蔽、無責任、 保身から同僚を見捨てることなどは、官公庁をはじめとした公的機関や大企業で今まさに問題となっていることである。

 駒大苫小牧だけが悪いのではなく、むしろ現在の日本における各種問題点のひとつが表出したにすぎない。今後、 各個人がおかしいものはおかしいと言える勇気を身につけ、自己責任の意識を高めること、より根本的なこととしては「自分で考え自分で行動する」 ようにすることができなければ、日本の未来はないといっていいだろう。

投稿者 KATANA : 15:33 | コメント (2) | トラックバック

2005年08月23日

F1、トルコGP総括

 F1初開催のトルコ。予選から波乱含みでおもしろい展開になった。

 予選では、8コーナーでヴィルヌーヴ、バトン、そして我らが佐藤琢磨がコースオフ。フリー走行から好調だったBAR勢にとっては、 痛いミスとなってしまった。

 中でも、琢磨はこれが大やけどになりかねない。来シーズンのドライバーズ・シートの確保のために、 残り全GPでのポイントゲットがノルマに掲げられているだけに、いきなり崖っぷちに立たされた格好になってしまった。

 ただ本戦は、今シーズンよく見られるいつも通りの展開。マクラーレン勢が逃げて、ルノーが追う。しかし、 ライコネンの速さは圧倒的だった。

 かといって、本GPは見ていてつまらなかったということがなかったように思う。これも、ヘルマン・ ティルケ設計の新コースのおかげだろう。随所に見せ場があって、各ドライバーを悩ませた“魔の8コーナー”で最後にモントーヤまで捕まっていた。

 それでも、マクラーレンが1、3位をゲット。ルノーのアロンソが棚ぼたの2位に入り、ドライバーズ・チャンピオンに半歩近づいた。

 BAR勢は、予選順位からすれば大健闘。バトンは4位まで上がり、琢磨も9位まで追いあげた。ただし、 あと少しのところでポイントを獲得できなかったのはあまりにも痛い。

 しかも、今回は99%本人の予選でのミスが原因だ。それだけに、周りの目はいっそう厳しくならざるをえない。日本のF1ファンとして、 もちろん琢磨にはBARに残留してほしい。しかし、ここまで結果がともなわないと、さすがに「運が悪い」というより「本人の力不足」 という印象が強まってきた。

 なんとなくだが、琢磨は予選からもっとセーフティにいったほうがいいような気もする。スタートもそうだ。 マシンのポテンシャルは高いのに、最初の失敗でレースを台無しにしてしまっていることがあまりにも多すぎる。

 次は、高速モンツァ。琢磨には、“焦らず確実に”走ってもらいたい。

投稿者 KATANA : 02:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月19日

ミスタードーナツの女の子

ミスタードーナツ「カリーパン」  以前よくやっていたミスタードーナツの「カリーパン」のCM。「カリ、カリ、 カリ~パ~ン♪」と歌っているのが氷室じゃないか、とかいろいろ騒がれているようだが、 個人的にはそのCMに出演している女の子のほうが気になっている。というより、ポスターや紙袋、箱の写真にうつっている女の子が。

 CMを見たときは「いかにも欧米系の女性だな~」と感じただけだったのだが、写真のほうは別人かと思うほど日本人好みの “きれかわいい”という雰囲気で一目で気に入った。っていうか、実際別人? いずれにせよ、ミスドのサイトではCMは見れるものの、くわしい情報は何もなくてわからずじまい。

 日本人とのハーフっぽい印象があるのだが、どうなのだろう。噂でもいいので情報求ム。

# あのポスターが欲しい! 笑顔もいいなぁ~。

投稿者 KATANA : 03:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月11日

やった、為末!――世界陸上

@nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」  悪コンディションの中、日本のサムライ――心からそう呼びたい――為末大がやってくれた。 世界陸上・男子400mハードルで堂々の銅メダルである。

 準決勝、先着順では通過することができない。祈るようにして後続の組を見守るなか、なんとかタイム順で拾われた。このときの、 為末がほっとしたような表情も忘れられない。

 そして、迎えた決勝。激しい雨と風という、まるで熱帯のスコールのような環境のなかでも為末は慌てなかった。 スタートでフライイングがあり、仕切り直しになっても集中力が切れない。

 いいスタートから、序盤はいつもどおり先行する。厳しい環境にあっても、為末のフォームは崩れていない。

 そして、最後の100m。トップで入ったものの、課題としていわれていた終盤でのスタミナ切れがまだ克服できていなかったのか、 後続にどんどん詰められ、ついには抜かれてしまう。

 しかし、為末はあきらめない。最後の最後まで必死にくらいつき、転倒覚悟のフィニッシュ。

 息を切らせながらも、ディスプレイを見つめる為末。そして、歓喜のときが訪れた。

 最後の最後、1レーンのカーロンをかわしての銅メダル! 喜び、涙をみせる為末が本当に印象的だった。

 この4年間、周りが想像する以上に過酷だったのだと思う。不調、父の死、プロ転向、怪我……。それでも、 為末大はこのすべてを乗り越えて表彰台という快挙を達成した。称賛しても称賛しきれない。

 私としても、感動の瞬間をテレビを介してとはいえ生で見ることができ、心から「夜遅くまで起きていた甲斐があった」と思ったものだ。 為末の涙、笑顔の両方のおかげで、久方ぶりに感動させてもらい、さらに勇気・元気を分けてもらった。

 ただ人間の欲は深いもので、こうなると「さらにいい色のメダルを」と思ってしまう。為末本人もその気のようだから、2年後の“ホーム” 大阪大会がなんとも楽しみである。

 そして、3年後の北京も――。

投稿者 KATANA : 23:38 | コメント (0) | トラックバック