2005年07月05日
アメリカの最高裁で、ついにP2Pファイル共有ソフトに対する判決が出された。原告側の主張を認めるもので、 同ソフトの提供者側に著作権侵害を助長した責任があるとするものだ。
現在、WinMXやWinnyなどのファイル共有ソフトでは著作権侵害が蔓延していることは疑いない。それは、 有名映画や楽曲ならばほぼ間違いなく手に入ることからもわかるだろう。
しかし実は、絶対数はわからないのだ。P2Pのネットワークは基本的に中央をもたず、個々が有機的につながり合うため、 全体像がきわめて把握しにくい。つまり、分母が正確にはわからないのだから、当然ながら「全体の~%が違法ファイル」 などとは言えないことになる。
ここに、ファイル共有ソフトを批判する著作権者側の主張における欠点がある。全体の9割が違法ファイルだとする意見もあるが、 実際にはその論拠は乏しいわけだ。
同様に、被害がどれくらいであるのかもはっきりとはしない。そもそも著作物のような情報財は、通常の物的な財が“盗まれた”場合と違い、 オリジナルは手元に残っている。音楽ファイルがコピーされるのと、スピーカーが盗まれるのとでは、まったく性質が異なるのだ。
結局のところ、著作物が違法に複製される際の被害は、“将来の売上に対する期待”を喪失しているにすぎない。 これについては別の機会にくわしく述べることにするが、簡単に言えば「海賊版被害額」などというものはかなり曖昧な概数にしかすぎず、 被害額が本当に算定できるはずもないのだ。
さて、これらを踏まえた上で今回の判決について考えてみよう。 裁判所はソフトの提供者に著作権侵害を助長した責任があるとしているが、これは甚だ遺憾だ。 以前のNapsterのようなハイブリッド型P2Pならばともかく、 現在の中央が存在しないファイル共有ソフトのネットワークでは管理のしようがない。
ならば、一体どうしろというのか? 結論は、どうしようもない。ファイル共有ソフトの“提供者” に責任ありとすることは、すなわちファイル共有ソフトの存在自体を否定するということだ。
つまり、それこそがレコード協会をはじめとした大手の著作権者が望んでいることなのだろう。著作権侵害の主体は、 まぎれもなく各ユーザーである。匿名性が高いといわれていたP2Pネットワークも、今では個人を特定することができるようになっている。 著作権者側は、違法行為をするユーザーを個別に責任を問うことも可能なのである。しかし、著作権者側はあくまで「ファイル共有ソフトの提供者」 を敵視する。
ここに違和感がある。レコード協会などは個別にユーザーを訴えることもしているが、効果のほどは判然とせず、費用ばかりがかさんでいく。 つまるところ、著作権者側は著作物の保護にかかるもろもろの費用を、別の存在へと転嫁しようとしているだけではないのか。
実際、もしファイル共有ソフトが消えることになったら、 大手の著作権者側にとっては目の上のたんこぶが消えてくれることになる。しかし、 同ソフトは大きな可能性を秘めたものだ。今は一部にすぎないかもしれないが、有効な使い方も出はじめている。
そうした中でファイル共有ソフトがなくなるのは、けっきょく大半の人々にとってマイナスとなりかねない。すなわち、 レコード協会をはじめとした大手の著作権者は、自身の著作権保護にかかる費用を一般の人々に分散させようとしているとも考えられる。
はたして、社会的な見地から考えた場合、それは許されるのだろうか。著作権保護は、 それほどまでに絶対的になされなければならないことなのだろうか。被害の程度自体もあいまいだというのに。
幸いなのは、今回の最高裁の判決ですべてが終わったわけではないということだ。審理は下級審へ差し戻され、もう一度やり直される。 提供者側に責任ありとされたことは痛手だが、まだ可能性は残されているのだ。
技術だけではなく社会の未来のためにも、アメリカの裁判所にはより客観的な判断を下してほしい。現代はよくも悪くも、 アメリカ中心に回っている。ソニーとのベータマックス訴訟のように、たとえアメリカ国内の裁判であっても世界に与える影響は大きいのだから。
投稿者 KATANA : 2005年07月05日 16:25
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